PART.3 20年の軌跡 記念講演(羽根田紀幸永世理事長)
2022年2月10日
2001年10月3日、羽根田紀幸医師(当団体の永世理事長)、黒江兼司医師、矢野宏氏が小児循環器患者の治療を目的としてモンゴルを初めて訪問・治療活動を行なってから2021年で20年が経ちました。これを記念して、2021年10月3日、「活動20周年記念オンラインイベント」が行われ、羽根田紀幸永世理事長が記念講演を行いました。この講演を3回に分けてご紹介します。
第3回は2015年から2019年までの渡航活動とこれまでの成果に対する対外的な評価をお伝えします。
2015年 モンゴル国立母子保健センターでのカテ開始
2015年5月の渡航からは、前年の秋に新設されたモンゴル国立母子保健センターのカテ室で、モンゴル国立母子保健センターの医師と一緒にカテをするようになりました。写真はカテ室やモニター室の様子です。握手しているのはBayarmaa医師、私、片岡功一医師です。わずか15年の間に、50年分の進歩を体験したことになります。
この時、ハートセービングプロジェクトによるカテは500例に到達しました。500例目の患者との集合写真です。
2016年12月の渡航から心房中隔欠損(以後「ASD」と呼びます)デバイス閉鎖を開始しました。
写真は、2019年8月の渡航で、カテ室でエコーを実施中の中川直美医師を中心としたハートセービングプロジェクトのメンバーや学生達とモンゴルの医師達です。
2019年末までの実績
2001年10月8日の第1例から、2019年12月5日までに、ハートセービングプロジェクトがモンゴルで関与したカテ総数と内訳です。カテ総数810件、治療カテ676件(668人)になっています。内訳はPDA閉鎖539人、PTPV(経皮的肺動脈弁形成) 77件(75人)、大動脈縮窄バルーン形成19件(9人)、ASD閉鎖45件、治療を試みて撤退21件、診断カテ113件で、カテをせずに経食道心エコーのみ実施のASD は15件となっています。
モンゴルの地図上に地方検診を実施した都市をプロットしました。2003年から2019年までの検診で、のべでの受診者6920名、実施都市34市、日数60日となっています。
政府要人との面会、受章など
2003年12月4日、日本を正式訪問されたバガバンディ大統領の歓迎祝賀会が赤坂プリンスホテルで開催され、富田と私の2名が出席し、モンゴルでのそれまでの活動を報告しました。
下は2006年3月27日の北極星勲章受章式の写真です。ホテルニューオータニにて来日中であったエンフボルド首相からいただきました。その後現在までに、ハートセービングプロジェクトの多数のメンバーが受章しております。
私がモンゴル国立母子保健センター名誉教授に推戴され、2013年5月2日のモンゴル国立母子保健センターでの授与式の写真です。総長から証書と服をいただきました。Bolormaa医師とモンゴル国立母子保健センター子供病院長にも同席していただきました。
2013年7月31日、ハートセービングプロジェクトが日本国外務大臣より表彰され、外務省飯倉公館での表彰式に出席しました。岸田文雄(現 総理大臣)外務大臣と檜垣高史、富田英、羽根田紀幸が記念写真に収まっています。
2019年5月の渡航では、4日に富田・羽根田がバットゥルガ大統領を公邸に表敬訪問しました。
2019年8月の渡航では、引退した第70代横綱の日馬富士関にモンゴル国立母子保健センターを慰問していただきました。全員での記念写真です。
日本ではMLBの大谷選手が投手とホームランバッターの二刀流で注目されています。私も野球が好きで、60年前から5年前までいろいろなチームに属してきました。5年前からはただ見るだけになっていますが、いまでも野球は好きです。大谷選手は野球プレーヤーとして二刀流ですが、私は2003年から開業小児科医と小児循環器カテーテル治療医の二刀流ドクターを目指して努力してきました。
モンゴル国立母子保健センターの皆様には改めてお礼を申し上げます。家族とどれみクリニックのスタッフの協力と支援にも感謝しております。
ここにきて、私はいろいろな健康問題を抱える様になりました。狭心症に対してステント留置を受けましたし、睡眠時無呼吸にはCPAP装着しての睡眠ですし、難聴・耳鳴り・ふらつきには薬剤内服と補聴器使用が必要です。補聴器で日本語会話はなんとかできますが、外国語の聞き取りは厳しく、特に少し長く飛行機に搭乗した後は90dBと厳しい難聴になります。
結び
2021年6月にハートセービングプロジェクトの理事長を引退し、永世理事長になりました。理事長は富田医師、副理事長は檜垣医師です。ハートセービングプロジェクトでの私の今後の役割は、自分が寄付をする、寄付を集める、に変化したと思っています。ハートセービングプロジェクトのメンバー、モンゴルのスタッフ、その他多くの方々からの20年間のご協力・ご支援に感謝申し上げます。
5年後には私も、日本では後期高齢者と言われる年齢になり、小児科医として50年(半世紀)、ハートセービングプロジェクトに関わって25年(4半世紀)、医師としての半分の年数はハートセービングプロジェクト、ということになります。息子にクリニックを譲り、完全引退の予定です。ですが、モンゴルの小児循環器医療のさらなる発展を見るために、何回かは渡航したいと希望しております。冠動脈の再狭窄がなく、誰かが私の難聴をサポートしてくれればですが。
これからのハートセービングプロジェクトは、富田・檜垣の2名を中心とした体制でさらなる発展をすると確信しております。
以上で、私の話を終わります。ご静聴ありがとうございました。(完)