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5月参加者レポート(バヤンウルギー検診)

2025年8月15日

2025年GWに実施しましたバヤンウルギー県地方検診に参加された矢内俊先生から、たいへん丁寧なレポートをいただきましたのでみなさまに共有させていただきます。

バヤンウルギー県地方検診に参加して

昭和医科大学
小児循環器・成人先天性心疾患センター
矢内 俊

今年も念願叶い、ハートセービングプロジェクトの地方検診に参加することとなった。2005年の初参加以来、モンゴルの様々な地域にお邪魔しているが、今回は、西端のバヤンウルギー県に向かうと聞いた。ここは、モンゴル族よりもカザフ族が主体の県であり、カザフ語しか話すことのできない方も多い地域だと以前聞いたことがあった。以前このバヤンウルギー県の検診に参加した先生からは、景色もとてもきれいで、チャンスがあったら行ってみるといい、と勧められていたので、派遣が決まったときから現地に赴くことをとても楽しみにしていた。今改めてネットでバヤンウルギー県といれてみると、いろいろな写真や情報が出てくるが、(日常の多忙を言い訳にして)行き先について詳しく調べることはせず、寒暖の差や、滞在中の生活雑貨に不足にだけ注意をして準備を進めた。

いままでの地方検診では、日本の感覚ではかなりの遠隔地でも自動車での移動が多かったので、今回は国内線での移動と聞いて、気合いの入った遠さだなと思っていた。いつもの検診に比べて滞在日数が長いことは少し気になっていたが、気をもんでも仕方がないし、なにより頼りになるコーディネーターも同行してくれるし、羽根田先生もいらっしゃるし、ということでくよくよ悩まず渡航を待った。今年の4月は、重症の患者さんが多く、渡航前日も病院に泊まらざるを得なかったが、なんとか同僚に患者さんを引き継ぐことができて、急いで成田エクスプレスに飛び乗った。

成田空港では小野先生、田部先生、そして今回初めて参加される小枝さん(ナース)と合流し、トラブルなく出国手続きを済ませることができた。午後2時過ぎの成田空港は出発便も多く、飛行機のドアが閉まってから実際に飛び立つまでに1時間以上かかり、やきもきした場面もあったが、無事にウランバートルに着くことができた。空港にはバヤンウルギー県選出の二人の国会議員がわざわざ出迎えに来て下さっており、到着も遅れる中でも手厚い歓迎をしていただいたことは、とても嬉しい出来事だった。

到着したチンギスハーン空港ではバヤンウルギー県選出の国会議員が待ち受けていました

翌日は早朝の飛行機でバヤンウルギー県に向かったが、ウランバートルからは約1300キロも離れており、早速モンゴルの広さを実感した。到着後は県立中央病院に早速お邪魔し、院長先生と意見交換の機会をいただいた。聞けば、バヤンウルギー県はウランバートルから遠いこともあり、病院へのアクセスが限られているとのこと、こういった格差はどこにでもあるものだと思った。いままでの検診ではこの意見交換の場で自分が口を開くことはまずなかったが、今回は羽根田先生の隣に座り、友好のお役に立てるよう、少しだけお話しをさせて頂いた。午後からは早速病院の一部をお借りして検診を開始したが、この病院の先生が個人で所有しているエコーを快く貸して頂けたので、3診体制で検診を行った。現地での広報活動のおかげか、この日だけで95人もの患者さんを診る事ができた。

 

院内のNICUを診ていただきたいとの病院の要請があった

モンゴルの経済発展に伴ってか、最近ではどの地方検診でもすでに先天性心疾患の診断がついていたり、中国や韓国、インドと行った近隣の大国で手術をされた患者さんが多かったが、今回は初日から未診断のVSDASDの患者さんがちらほらみられたのは、やはり居住地域による医療アクセスへの差を感じずにはいられなかった。初日に診察を依頼された大量の心嚢液貯留がある乳児は、心機能は良好でタンポナーデの所見もなく、現地の判断で安全にウランバートルに転送することができた。また新生児の診察も依頼されたため、検診の合間にエコーを1台もって小野先生とNICUにお邪魔したが、そこに待っていたのはductal shockになっている大動脈離断の日齢1の新生児だった。現地にPGE製剤はなく、新生児手術も現実的ではないとの説明を受けた。同行してくれたベフバット先生が、携帯でシェーマを示して病態を説明してくれたが、看取ることしかできないという残酷な現実を示すことしかできず、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。この患者さんは翌日に亡くなったと聞いた。原因不明ではなく、生前に正しい診断を提示できたことは唯一の救いだが、ご遺族の事を思うと、やはり複雑な気持ちは消えなかった。2日目、3日目にもたくさんの患者さんが来てくれ、中にはEisenmenger化した未手術の患者さんもいたが、それぞれの人生を歩まれていた。

NICUで診察を行うハートセービングプロジェクトのメンバー

結局、総勢286人の患者さんが来訪され、治療や侵襲的評価適応のありそうな患者さんが14人も見つかった。特にASD14人中9人を占め、そのほとんどは(日本での経験では)デバイス閉鎖が期待できそうだった。9人中5人は10歳代の患者さんであり、身体負荷が飛躍的に高まる前に治療への道筋を提示できたことは、とても喜ばしかった。

バヤンウルギー県立病院で検診を行う矢内俊先生

今回の検診に当たっては、富田英先生より検診の質を担保し、やりっぱなしにならない仕組みを作るように、事前に指示を受けていた。そこで、1月からカテ班、検診班それぞれの問題点を洗い出し、改善策を模索してきた。今年度1回目の検診では、どんなに患者さんが多くて疲れていても、その日のまとめはその日のうちに行うこと、同行してくれた母子センターの先生、現地の先生方にも内容とフォローアップ、または治療の必要性が理解できるようにカンファレンスの進行には心を砕いた。必要な症例をもれなくカバーしながらも、カンファレンス時間をできるだけ短くすることは、天井から逆立ちするようなものだが、3日間を通し、十分に情報共有を図ることができたのではないかと思われた。この検診で見つかった治療や侵襲的評価適応のありそうな患者さん14人すべてを確実に治療トラックに乗せ、フォローアップを難しいかもしれないが、一人でも多くの患者さんに治療を受けてもらい、この地域の健康レベルが底上げされることができれば、とても嬉しく思う。

最後になるが、私達が検診に集中できるように、渡航や事務手続き、現地での調整にはハートセービングプロジェクトのスタッフ、同行してくれた国会議員秘書、ウランバートルから同行してくれたベフバット先生の働きがあって実現されたことにあらためて感謝申し上げたい。またバヤンウルギー県の病院スタッフみなさんが、初めて会ったにもかかわらず検診に快く協力してくれたことも忘れてはならない。今後も自分ができる小さな社会貢献として、ハートセービングプロジェクトの活動を通し心臓カテーテル、地方検診への参加を続けたいとあらためて思った。

皆様、今回もありがとうございました。

ウランバートル・ウルギーは直線距離およそ1300km