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医療チーム同行記 第5回

2016年3月1日

ー心臓病の子どもを治したいー カテーテル治療

文・写真  西嶋大美(ジャーナリスト・元読売新聞記者)

◆母子センターで初のカテーテル治療 

モンゴル渡航治療は8日目となった。5月3日午前8時、日本人医師ら18人はバヤンゴルホテルから国立母子保健センター(母子センター)に向けて、HSPモンゴリアのメンバーの運転する車で次々と出発した。快晴である。ウランバートルは、地球儀の経度でいえば東京より30度以上西、つまりベトナムあたりになる。それなのに、この時期モンゴルは日本と時差がない。緯度の高さを勘案しても、モンゴル人の活動は「朝が遅く、夜も遅い」と日本人の目には映る。午前8時は、町にいくぶん早朝の気配がある。

今日から、渡航治療の核心であるカテーテル手術が始まる。前年(2014年)までは、国立第三病院で行っていたが、今回から母子センターで検診からカテーテル手術までのすべてが行えるようになった。なにかと好都合だ。手術が行われる「心臓カテーテル・血管造影室」(以下、カテ室)の機器は、前日にチェックが終わっている。隣接の準備室の壁に、患者のリストがはられているのを見つけた。患者ごとに担当医師の名前を記した紙もならんではられている。患者リストには、名前や年齢、身長と体重、住んでいる地域、それに病名とその程度、手術に必要な医療器具などが、英字と数字、少しの日本語でびっしりと書かれている。急いで書き写す。が、モンゴル人の名前を読むことができない。私には意味のわからない数字も多い。

◆カテーテル手術前のカンファレンス

カテーテル手術は3日間の予定で行われる。リストは、前日のエコー検診の後にあったカンファレンス(検討会)で決められたものだ。手術の初日に6人、2日目8人、3日目7人の計21人が、とりあえずリストアップされた。さらに4日目のあとかたづけの日に、国立第三病院でも手術の可能性があると付けくわえられた。これまでかかわりの強かった第三病院の患者も面倒をみなくてはならない。

カンファレンスには、日本人医師7人とモンゴル医師3人が参加した。この日のためにモンゴル各地からやってきた子どもと緊急性のある新患のエコー検診の結果などをもとに、カテーテル手術の運びなどについて検討された。初日は6人とも動脈管開存症(PDA)だ。最初の手術候補は10歳の女の子。片岡功一医師(自治医科大学とちぎ子ども医療センター)がエコー装置による検診の結果などを説明した。「この子はPDAで、動脈管の径は5ミリ。心房中隔欠損症(ASD)もあるけれど小さく、PDAを塞ぐ意味はある」。

「最初はオーソドックスなタイプでいこう。そして、初日から波に乗せよう」と、医療チームの団長・羽根田紀幸医師(島根大学医学部臨床教授)は第一号にこの子を選んだ。こうして手術対象のひとりひとりについて、意見が交わされ、動脈管の開存の状態によって使うデバイス(動脈管閉鎖栓)の大きさが決められた。

日本・モンゴルの医師が参加する手術前のカンファレンス

日本・モンゴルの医師が参加する手術前のカンファレンス

医療器材の段ボール。チェックを念入りに行う

医療器材の段ボール。チェックを念入りに行う

 

 

 

 

 

◆動脈管を栓で塞ぐ手術

動脈管開存症(PDA)とカテーテル手術の概略を説明したい。動脈管とは聞きなれない言葉だ。心臓から肺へ血液を送る肺動脈と、心臓から全身に血液を送る大動脈を結ぶごく短い血管のことだ。赤ちゃんが母親の胎内にいるときには、動脈管に大事な役割があるが、生まれて肺呼吸をするようになると不要になる。生後間もなく閉じるのが普通だ。しかし、閉じないことがまれにある。すると、酸素が多くてきれいな大動脈の血液の一部がこの動脈管を通って、二酸化炭素が多く汚れた血液の流れる肺動脈に流れ込んで、混じってしまう。これがPDAだ。日本小児循環器学会によると、日本では、子どもの先天性心疾患の5~10%を占める。また、新生児の2000人に1人の割合であるという見方もある。日本では、早期発見、早期治療がかなり徹底して行われている。

PDAの患者には、きれいになった血液の一部が再び肺に戻ってしまうという非効率な流れが常時ある。その分、心臓や肺に大きな負担がかかって、赤ちゃんだとおっぱいやミルクをよく飲まず、体重も増えず、多呼吸、多汗などの問題がでる。動脈管を通って肺に流れ込む血液が多くなると肺動脈の血圧が高くなり、放置しておけば肺動脈の血管壁が硬くなる。すると動脈管を通る血液の流れが逆方向になる。つまり、汚れた肺動脈の血液が、きれいになった大動脈に混入し、顔などが青紫色になるチアノーゼとなる。これをアイゼンメンジャー症候群と呼んでいる。手術もできない厳しい状況だ。PDAの対応策の原理は明快だ。動脈管を縛るか、栓をしてしまう。そうすれば、大動脈の血液と肺動脈の血液は混じりあわなくなる。今日、第一選択は栓をする方式だ。閉鎖する栓を小さくたたんで太腿から血管を経由して動脈管まで送り、そこで閉鎖栓を開いて動脈管を塞いでしまう。それが、PDAのカテーテル手術だ。

◆エックス線防護服を着て

医師と看護師などは薄いブルーの手術着上下を着て、忙しそうに動き回っている。カテ室に入る者は全員、鉛の入ったエックス線防護服を付ける。手術のさい、担当医らは血管を伝わっていくカテーテルやワイヤーの動きを、モニターで見ながら手を動かす。そのため、常にエックス線が患者に照射されている。私も中に入れてもらえることになって、生まれて初めて防護服を着た。ずしりと重さが肩にくる。素材が鉛などで3キロ以上ありそうだ。「ベルトをしっかりしめると楽ですよ」とのアドバイスでベルトをきつく締めた。いくらか軽く感じるが、長く立っていたら持病の腰痛が悪化しそうな気配である。担当医は、さらにその上に術衣を重ねた。手術が始まる前に、現場の全員で記念撮影をした。

午前9時30分、最初の患者、10歳の女の子が看護師と麻酔科医に導かれ、控室から歩いて入って来た。緑色の薄絹のような手術着を着ていて、なぜだかニコニコと明るい表情だ。私と視線が合った。笑顔が悲しいほど透き通っていると感じられた。カテーテル台に仰臥したとき、日本人医師がHSPのトーヤさんに告げた。「リラックス、リラックス――と言ってあげて」と。そのニコニコの中に緊張の色をみてとったようだ。カテ手術室の中は日本・モンゴル双方の医師・スタッフがいる。専門用語を駆使できる通訳の役割はひときわおおきい。

控室で待つ患者と母親

控室で待つ患者と母親

「さあ始めよう」と全員で気合を入れる

「さあ始めよう」と全員で気合を入れる

 

 

 

 

◆最初のカテ手術

まず、麻酔科医の藤井園子医師(愛媛大学)、藤井智子医師(昭和大学横浜市北部病院)、片山望医師(島根大学)が母子センターの麻酔科医と一緒に、女の子の両手首あたりに各種のモニター端末をつけて包帯でまき、両手首の点滴から全身麻酔薬をし始め、麻酔導入が終わると、バンザイするように両手を頭の上で固定した。モニター端末は血圧や心電図、血中酸素などを常時測るため。それから茶色の薬液をたっぷり使って太腿の付け根を中心に広く消毒し、手術部位に穴をあけた青いシーツをかぶせた。

カテーテルを扱うのは、羽根田医師と片岡医師、それに母子センターのバヤルマー医師。患者の頭部は医師の左手にある。午前9時40分、バヤルマー医師が患者の足の付け根に注射をした。局所麻酔だ。片山医師も点滴から麻酔薬の追加をした。麻酔深度を深めるためらしい。注射器の先のような器具を右足の付け根から大腿静脈にいれて、そこからガイドワイヤーを中に通したカテーテルを、心臓に向って入れていくのだ。カテーテル、ワイヤーとも様々なサイズがある。この手術で使っているカテーテルは直径1.3ミリ。中を通るガイドワイヤーは同約0.9ミリだ。カテーテルの先端からガイドワイヤーを少し出した状態で、両手でくり送る。ガイドワイヤーの先端はゆるく曲がり、血管を傷つけにくい形状となっている。

バヤルマー医師は若手の女性医師で、日本チームが訪れるたびに腕を磨いてきた。モンゴルでは数少ない子どもの心臓カテーテル手術の経験者である。彼女にとって、日本人の医師らは“師匠”である。余談だが、バヤルマー医師は2016年2月末から5か月あまりを愛媛大学医学部で臨床修練医として現場研修をすることになっている。チームのメンバーでHSPの理事でもある檜垣高史教授の指導を受けるのだ。

羽根田医師が、足の付け根にカテーテルの挿入口を設けた。長さ数センチのシースと呼ばれる器具が留め置かれ、ここからカテーテルやワイヤーを出し入れする。バヤルマー医師がカテーテルを挿入し始めた。羽根田医師がすぐ左側や右側にたって何か言った。アドバイスなのだろうか。やがて、カテーテルの操作を羽根田医師が代わった。トレーの中で生理食塩水などにつけられたカテーテルを、片岡医師からバヤルマー医師に繰り渡し、羽根田医師は少しずつ挿入していく。ぴったり呼吸があっていて、3人が一体となり、ひとつのことを目指していることが、はた目にわかる。

局部麻酔を注射するバヤルマー医師。右手は片山医師

局部麻酔を注射するバヤルマー医師。右手は片山医師

羽根田医師の手技を学ぼうと注視するバヤルマー医師

羽根田医師の手技を学ぼうと注視するバヤルマー医師

モニターを見ながら進める。バヤルマー医師、羽根田医師、片岡医師

モニターを見ながら進める。バヤルマー医師、羽根田医師、片岡医師

 

 

 

 

 

◆生き物のように動くカテーテル・ワイヤー

映像モニターにワイヤーの先端が現れた。先端がクイクイとリズムを刻んで動いていく。まるでそれ自体が生き物のように見えた。やがて、大きく曲がったところで止まった。カテーテルが心臓の右心房にとどき、弁を通って右心室に入りって肺動脈に達したという。「自分の指の感覚がカテーテルの感触に一致するようになればかなりの熟達者」と羽根田医師。だが、私はいくらモニター画面をにらんでも全然わからない。なにしろ画面には、心臓のあの形が表れていないのだ。大動脈も肺動脈もさっぱり見えない。私にはっきり見えるのは、背骨とガイドワイヤーぐらい。医師たちはどうして、そこが心臓であり、動脈管であるとわかるのか、まったく不思議だ。この医療チームには何人もの熟達者=達人がいる。

羽根田医師は、カテーテルからガイドワイヤーをするすると抜いた。空になったカテーテルを使って、肺動脈圧と大動脈圧を測定するのだ。肺動脈圧が大動脈圧より低ければ、そのまま手術をすすめる。測定の結果、手術続行となった。一般に、その反対だと手術は取りやめになる。手遅れ状態ということだ。二本目のカテーテルを挿入する。今度は、太腿の静脈ではなく動脈に。先端がくるりとまるまっているところから、豚のしっぽ=ピッグテールと呼ばれているカテーテルだ。心臓まで、動脈血の流れに逆行して挿入する。カテーテルを下行大動脈の心臓のすぐ近くにまで送りこみ、ピッグテールから必要に応じて造影剤を噴射して、動脈管の形やサイズを計測し、血液の流れを確認するのが目的だ。

一口にカテーテル手術といっても、複数のカテーテルやワイヤーを入れたり出したりするという、けっこう複雑な工程がある。また、一本目のカテーテルの操作に戻った。ガイドワイヤーを残して、カテーテルだけを引き抜いてしまう。その代りに、デリバリー(運搬)シース(ロングシース)をガイドワイヤーに被せて挿入していく。カテーテルを入れ替えるのだ。デリバリーシースの形状はカテーテルで、最初のカテーテルよりわずかに太い。中に閉鎖栓を先端につけたデリバリー(運搬)ケーブルを通すためだ。

開いた状態の閉鎖栓

開いた状態の閉鎖栓

デリバリーワイヤーの先端に取り付けられた閉鎖栓

デリバリーワイヤーの先端に取り付けられた閉鎖栓

 

 

 

 

◆クライマックス 閉鎖栓を開く

役目を果たしたガイドワイヤーを抜くと、主役の登場だ。先端に小さくたたんだ閉鎖栓を取り付けたデリバリーワイヤーを、カテーテルの中を通して動脈管に送る。閉鎖栓は、たたんだ状態のときは少し太いワイヤーのような形でしかないが、広がると鼓のような、ダンベルのような両端が大きく中央がくびれた形になる。動脈管両端に引っ掛かって、外れないための形なのだ。素材はニッケル・チタンの形状記憶合金。超極細のワイヤーをメッシュ状に編んだものだ。閉鎖栓は、患者の動脈管の太さによってサイズを選ぶことになる。この手術では、8/6というサイズ。鼓形の大径が8ミリ、小径が6ミリで、よく使われるサイズらしい。

羽根田医師の手さばきで送られるデリバリーワイヤーの先端は、進行をやめて止まった。先端は短い動脈管を一旦通り抜けて大動脈にあるのだという。そこで、ピッグテールから造影剤が噴射された。モニターにサーッと煙のような黒っぽい影が映って動いていく。血液の流れだ。左上から右下方向に 黒っぽい煙=血液が流れ、まもなく消えた。一部に、ちょっとそれて左下に向う分流がみえた。動脈管への流れだ。動脈管の存在と血液の流れ、閉鎖栓の関係が私にも多少のみ込めた。この動脈管の流れを止めなくてはならないのだ。

いよいよ、閉鎖栓を開く。手術のクライマックスだ。閉鎖栓は、鼓の片方の端と反対側の端を順に別々に開く。まず、動脈内で先端の方だけを開く。誇張して言えば、傘を広げたような形になる。それを動脈管のほうに引っ張ってきて、動脈管の入り口に開いた部分をひっかける。もし、傘が小さければ、ひっかからずに抜けてしまう。緊張が高まる場面だ。無事にひっかかった。次いで、静脈側の傘も開く操作をして、きれいな鼓の形ができた。「よし」という声が聞こえた。

ピッグテールからまた造影剤が噴射された。煙のような流れは、動脈管にはまったく流れていかない。私にも十分わかった。手術成功。これから、きれいな血はそっくり体に回っていくのだろう。羽根田医師は手元を操作して、デリバリーケーブルから閉鎖栓を離脱させ、デリバリーシースとデリバリーケーブルを患者から抜いた。止血をし、午前11時5分、手術は完了した。3人の医師は手をとりあって握手をした。大きな笑顔だった。この日、続く5例の手術も日・モ3人1組で順調に進み、それぞれの担当医師の笑顔の握手が5回あった。

モニターに表れた閉鎖栓。片側が開いている

モニターに表れた閉鎖栓。片側が開いている

握手をする片岡、羽根田、バヤルマー医師(右から)

握手をする片岡、羽根田、バヤルマー医師(右から)

 

 

 

 

 

 

◆喜ぶ患者の親 1800キロ離れた山村からきた

 

カテーテル手術が終わり次室に横たわっていた女の子の目が覚めた。ほっとした顔の母親とその妹が寄り添っている。「おりこうさんだったね」などと、日本人医師が口々に声をかけた。「すげー怖かったんでしょうね」と、10年ぶりに参加の矢内俊医師(東邦大学大森病院)。患者の気持ちを代弁していた。

廊下で羽根田医師が親へ説明をした。「無事終わりました。余分な血管がきれい塞がっています。本人はずいぶんらくになったと思います。今後、閉鎖栓が外れたりすることはないでしょう。だけど念のため、明日朝もう一度検査をします。今回の手術は3人の医師がカテーテルを操作したけれど、手術はまわりにいる全員でしたのですよ」

「助けてくださって、ほんとうにありがとうございます」と繰り返す母親。この子はひとり娘だという。ウランバートルから1800キロはなれたモンゴルの西の果て、バヤンウルギー県の小さな村から、知人の車で2泊3日かけやってきたという。周囲を3000~4000メートル級の山々で囲まれた山村。母親はそこで中学校の校長先生をしているという。そのあたりではごく限られた現金収入のある層であろうか。無職の夫は村で待っている。「飛行機代は高いので、帰りも車で帰りたいのですが、大丈夫でしょうか」と聞く。「大丈夫でしょう。本人は楽になっているから」と羽根田医師が笑顔で応えた。「よかった。実は去年の夏、咳が止まらないので地元の病院で診てもらったら、母子センターへゆけといわれて、生まれて初めてウランバートルにきました。そこで心臓が悪いといわれ、すごくショックでした。それまで健康だと思っていたので。でも、もう安心です」

こんな光景が、このあとも続いた。

羽根田医師は「大人の場合、手術が終わった直後に『体が楽になりました』と言って、ドアからでていく人もいる」と、カテーテル手術の効果を話した。

手術の成功を喜ぶ患者の母親と家族

手術の成功を喜ぶ患者の母親と家族

患者を囲む母親とバヤルマー医師、羽根田医師(右から)

患者を囲む母親とバヤルマー医師、羽根田医師(右から)

 

 

 

 

(続く)(にしじま・ひろよし)