2016年活動参加者の声
2016年7月15日
2016年GWの活動に参加した中で最年少の文系大学生からのレポート。彼女は日本語とモンゴル語のバイリンガルで、今回通訳兼記録係として参加しました。自ら得た体験はこれからの人生の大きな糧となることでしょう。
ハートセービングプロジェクト 5月の地方検診と治療活動に参加して 谷口ほなみ
今回、私は初めてハートセービングプロジェクトの検診班とカテーテル治療班に参加させて頂きました。参加が決まった日からモンゴル到着の瞬間まで「ちゃんと通訳できるかな」「具体的にどういうことをやるのだろうか」「スタッフの方々の足を引っ張ってしまったらどうしょう」「副理事長の富田英先生や理事の檜垣高史先生怖いな。怒られないようにしなきゃ」などと、とにかく胃が痛くなるほど緊張しました。
最初の仕事
いざモンゴルに着いて最初の仕事はカテーテル治療前のエコー検診でした。モンゴル国立母子保健センターには、今回カテーテル治療の対象となる患者さんと新たに見つかった患者さん計70人が来てくださいました。70人もの患者さんとその保護者の方がエコー室前のガラス扉に押し寄せる光景には本当に圧倒されました。圧倒されたと同時にこんなにも多くの人々が病で苦しんでいること、そしてこんなにも多くの人々がハートセービングプロジェクトの力を必要としていることを痛切に実感させられました。この初日のエコー検診では日本語で聞いてもモンゴル語で聞いても理解できない医療用語があっちこっちで飛び交い、この先大丈夫だろうかと不安が一増大きくなったことをよく覚えています。
写真を撮ることと患者さんの誘導しかこの日は出来ませんでしたが、その中でも気が付いたことがありました。それは、日本とモンゴルの生活環境の違いです。大きく分けると以下の2つです。
- 同伴の保護者の多くが母親ではなく父親(又は祖父母)であること
日本ではこういった場合、母親が同伴することが多いイメージがあったのですがモンゴルでは父親もしくは祖父母と来ている患者さん非常に多い印象を受けました。
- 経済力の差が大きいこと
これは以前からも言われてきたことですが、私の認識より遥かに深刻なものでした。ウランバートルまでの交通費を準備できなかったために治療を諦める患者さん、我々からの電話を受けるために知人から携帯電話を借りてきたという患者さん、ウランバートルまで来たがホテル代を払えないため入院させて欲しいと頼む患者さんなど日本では考えられないような状況をいくつか目の当たりにしました。
そして、4月29日ホブド検診がスタート
ホブド県立中央病院にも多くの患者さんが来てくださり、初日は55人、2日目には64人、計119人をエコー検診しました。私はエコー前の問診の通訳をさせて頂いたので直に患者さんと会話ができ、患者さんがどのような不安を抱いているのか、普段どのような生活を送っているのか教えて頂きました。ホブド検診の中でもっとも苦戦したのは「言葉のなまり」です。ホブド県は首都のウランバートルから1200㎞も離れており、中国と国境を接しています。その上、時差が1時間もあるのです。東京⇔栃木の距離でもなまりがあるのですからウランバートル⇔ホブドの距離ではなまりがあって当然です。しかし医療用語を通訳することに頭がいっぱいになっていた私には完全に盲点でした。全く別の言語のように聞こえると噂には聞いていましたがまさかこんなにも理解できないものか…!と大変驚きました。
それはさておき、ホブド県の方々に問診をしていて興味深いことがありました。それは「不機嫌=心臓病ではないか?」と考える方が非常に多いことです。検診に来てくださった119人の中には勿論、異常なしと診断された患者さんもいらっしゃいました。その患者さんたちの問診票を振り返ってみると、ほとんどの保護者が「この子すごく怒りっぽいからおかしい」「親に向かって口答えする」「反抗的な態度を取る」ことを症状として挙げているのです。スタッフの方から「心臓病で怒りっぽくなることはある」と聞いてはいたのですが、私は患者さんの年齢を考えるとイヤイヤ期もしくは思春期特有の反抗期ではないかと思えて仕方がなかったのです。
この話を同行して頂いた国立母子保健センター小児循環器科のウンドラル先生に話したところ、驚きの答えが返ってきたのです。ウンドラル先生によると、モンゴル(特に地方)では反抗期というもの自体が認識されていないことが多いそうです。それは昔からのモンゴル人の生活習慣や思想が原因ではないかと考えられているそうです。モンゴルでは両親共働きの家庭が大半で、親は働き子どもが家事炊事を行うことが習慣となっています。又、親は威厳があり、尊敬しなくてはならない存在だという思想があります。そのため、子どもが家事をやりたがらないことや、親に口答えをすることは異常だと考える方が多いそうです。このような常識の違いを知ることが出来たのも地方検診ならではの出来事かと思います。
そして5月2日からいよいよカテーテル治療が始まりました
この日のスタッフ全体に緊張が漂った雰囲気は今でもよく覚えています。カテーテル治療が始まってからは患者さんの保護者の方と接することが多くありました。中でも印象的だったのは、ある患者さんの祖母でした。実はこの方は初日のカテ前エコー検診の際に「どうか孫を選んで下さい。治療を受けさせて下さい。お願いします。」と無力な私に涙を浮かべながら頭を下げたのです。私はお話を聞いてあげることしか出来ませんでしたが、後日カテーテル治療が決定した患者さんのリストの中に彼女の名前を見つけた時は心の底から喜びました。
カテーテル治療当日、彼女がカテ室に入って間もなく彼女の祖母が私の元にやってきました。私の手をギュッと握りしめて「本当にありがとう。なんてお礼を言ったらいいかわからない。本当に感謝しています」と泣きながらも笑っていました。私はただ雑用をしていただけで、そのおばあちゃんの頼みを上に伝えることすら出来ませんでした。それにも関わらず私はあれ程にまで感謝されたことに非常に恐縮しました。しかし、あのおばあちゃんの泣いて喜ぶ姿をみてこの活動の意味がようやく理解できたような気がしたのです。
最後に
今回の活動に参加してみて感じたことについて少し書かせてください。
「病との闘いは苦しく辛いこと」それは誰もが知っていることです。しかしその苦しみ悲しみがどれほど深いのか、具体的に何が最も患者さんとその家族を苦しめているのか。そこまで理解し、現状を把握している人々はそう多くはないと思います。実際に私がそうでした。日常生活で医療、医学に携わらない私には「病との闘いは苦しく辛いこと」それ以上の情報を得る環境も無ければ、もっと深く知ろうとする意欲すら無かったのかもしれません。そんな私にとって今回見たこと・聞いたことすべてがショッキングなものでした。頭では理解していたつもりでも、実際に目にした現実はあまりにも無情なものでした。しかし、無情な現実を知ったことでハートセービングプロジェクトの活動がいかに素晴らしいものなのか改めて感じさせられました。こんなにも多くの人々を苦しみから救いだし、そしてまだまだ多くの人々に必要とされているこの団体に参加できたことを私は誇りに思います。
理事の皆様をはじめ、ホブド検診班の皆様、カテ班の皆様、現地サポートNPOの皆様にはこのような貴重な経験をさせて頂いたこと、そして一人前に通訳もできない私を暖かい目で見守って頂いたこと心から感謝しております。ありがとうございました。
最終日の夜、理事の檜垣高史先生とお話しさせて頂いた際に「実は今回、富田英先生と檜垣先生にお会いするのがとても怖かったんですよ。」と言ったところ「怖がることないよ。小児科医なんてみんなある意味でバカばっかりだよ。そうでなきゃこの仕事は務まらないし、こんな活動も続けられないからね。」と檜垣先生が冗談交じりでおっしゃった言葉に私は心を打たれました。ハートセービングプロジェクトのような活動を続けていくことが決して簡単ではないことを知ったからです。今の私ではまだまだ半人前で何も役に立てることはありませんが、勉強を積み重ね、またハートセービングプロジェクト検診班・カテ班に参加したいと考えております。そして少しバカになってこの活動を長く続けられたらいいなと思います。ありがとうございました。
谷口ほなみ