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ハートセービングプロジェクト

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2017応援団シリーズ(1)

2017年8月17日

ハートセービングプロジェクトのメンバーは大きなハートの持ち主!

フレルバータル元駐日モンゴル国大使に聞く(上)

インタビュー : 西嶋大美(ジャーナリスト、元読売新聞記者)
同席者 : 宇佐美博幸(写真家、ハートセービングプロジェクト理事)

 46年にわたって日本とかかわり、日本をもっともよく知るモンゴル人の一人といわれるS.フレルバータル駐日モンゴル大使が、7月いっぱいで任を終えられました。帰国に先立って、ハートセービングプロジェクトの活動への評価などをうかがいました。

日本・モンゴル関係の成長はわが子のよう

S.フレルバータル元駐日モンゴル国大使(左)、ジャーナリスト西嶋大美氏(右)

S.フレルバータル元駐日モンゴル国大使(左)、ジャーナリスト西嶋大美氏(右)

―西嶋 日本とモンゴルの関係は大きく発展しています。元大使は長く、日本とかかわってこられ、モンゴル人のなかで一番日本をわかっている人と言われますね。ふりかえって、今どんなお気持ちですか。
「モンゴルなどの大学で日本の歴史や経済などの勉強を始めて、今年で46年になります。外務省に入ってから日本を含めてアジアを担当し、ずっと日本とモンゴルの関係を仕事にしてきました。日本勤務は3回で、うち2回は駐日大使として赴任しました。日本とモンゴルの外交関係は45年ですが、最初のころから担当してきたことになります。日本には『拍手は片手ではできない』という言い方がありますね。両国の関係の発展は、モンゴル側だけの仕事あるいは日本側だけの仕事ではなく、両国の協力の賜物(たまもの)なのです。その時々の政治家、外交官そして市民たちの努力の結果なのです。とてもよい関係が育っていて、その関係自体が、私が育てた子どものように感じるのです。両国関係の発展に、小さいながら私の貢献があることを誇りに思っています。」

元大使がホテルを紹介してくれなければ、いまでも自炊?

―西嶋 元大使とハートセービングプロジェクトとの付きあいについてうかがいたいと思います。
「理事の宇佐美さんとの付き合いは20年ぐらいになります。親友です。宇佐美さんが2008年にハートセービングプロジェクトにかかわって、私もかかわるようになりました。ですからハートセービングプロジェクトとは約10年です。」

S.フレルバータル元駐日モンゴル国大使

S.フレルバータル元駐日モンゴル国大使

ウランバートルの老舗ホテル バヤンゴルホテル

ウランバートルの老舗ホテル バヤンゴルホテル

―宇佐美 フレルさんにいろいろなことをお願いしました。例えば、ハートセービングプロジェクトの渡航治療班がモンゴルにゆくさい、ウランバートルの老舗・バヤンゴルホテルを紹介してくれたことです。おかげで、同ホテルはずっと宿泊費を無料にしてくれています(現在は2000万トゥグルグを上限に無料提供)。もしフレルさんに頼まなければ、先生たちは相変わらず自炊してお腹をこわしていたかもしれませんね(笑)。

―西嶋 ハートセービングプロジェクトの活動のどんなところを評価しているのですか。

「日本とモンゴルの関係は、さまざまな分野さまざまなレベルで発展していますが、その基盤は、日本の国民のみなさんがモンゴルを応援し、民主化を支援する気持ちをもっているということです。
ハートセービングプロジェクトの活動は、民間レベルでモンゴルを支援するひとつのよい例だと思っています。モンゴルの医療は社会主義時代に配慮されたのでそれほど低いレベルではないと思いますが、医療機械を使う治療は遅れています。それによってさまざまな病気を治すのが遅れていました。そこにハートセービングプロジェクトの先生方がモンゴルに入ってきた。ウランバートルのほか、モンゴル全国にハートセービングプロジェクトの先生方が行って、たくさんの子どもを検査し、治療をしてきた。そのおかげで何千人もの人がお世話になり、元気を取り戻しました。なにが一番すばらしいかというと、幼い命を救うということ。たいへんありがたいことです。
同時にモンゴルの若手の医師や看護師の勉強になっていることも評価しています。両国全体の友情関係の強化にも貢献しているので、モンゴル政府も高く評価して、ハートセービングプロジェクトの医師や看護師さんにモンゴルで最高の勲章を贈ってきたのです。感謝の気持ちを込めて贈っているのです。」

2007年ウランバートル空港到着時

2007年ウランバートル空港到着時

2008年ウランバートル市内

2008年ウランバートル市内

2009年ゴビアルタイ県地方検診で飛行場に降り立つチーム一同

2009年ゴビアルタイ飛行場に降り立つチーム

2011年ホブドでの検診チーム

2011年ホブドでの検診チーム

 人のために役立ちたいという心をもっている人たち

―西嶋 ハートセービングプロジェクトの医師はこれまでのべ500人近く活動に参加しています。私は2015年の春に医療チームに同行しましたが、なぜ日本の医師たちがモンゴルへゆくのか、半分ぐらいわかったけれど、まだ半分わからないところがあります。日本のドクターらは、どうして長く続けているのだと思いますか。

「なぜ続けるのか、それは私も聞きたいです(笑)。私は年に1、2回、日本で検査入院をしています。そのときに病院の医師や看護師さんに接しますが、みんな忙しいですよ。1週間の3分の1は病院で過ごしているのではないかと思うほど。日本の医師らは、みんなそういう忙しい方々なのに、わざわざお金をかけ自分の生活や家族の生活を犠牲にしてモンゴルに通っている。モンゴルではハードに仕事をするばかりで遊ぶ時間が全然ない、忙しい一日一日を過ごして帰る。そういう姿をみて、感動するばかりです。

モンゴルへ行くとき、ホテル代、飛行機代も高くて困っている。それなのに15年間も、毎年何回も行ってたくさんの命を助けている。いったい何が原動力なのかと不思議に思っているのですよ。長年それを続けられるのは、人間を愛する人道的な考えがあるからでしょう。人類、人々に対する人道的活動です。なにか人のために役立ちたい、そういう心をもっている人たちなのだろうといつも感じています。先生方はみんないい心の持ち主、大きなハートの持ち主だと思っています。それはモンゴルの病気になった人々の役にたっているけれど、そういう活動をなさることを、先生たち自身がきっと幸せに感じているのではないかとも思います。」

モンゴルの医師らに伝わっているハートセービングプロジェクトのスピリット

―西嶋 ハートセービングプロジェクトのメンバーのスピリットは、モンゴルの医師らに伝わっているでしょうか。

「十分に伝わっていると思います。でも、問題が全然ないとは言いません。違う民族なのですから。問題があったと思うし、これからもでるかもしれないけれど、それがハートセービングプロジェクトがモンゴルでの活動をやめる理由にはならない、そういうことにはならないですよ。今まで役に立っているし、喜んでいるし、感謝していますし、政府もよろこんでいるから勲章を贈っている。そういうことですよ。」
―西嶋 ハートの問題ですね。
「そう。それがきっかけ、原動力ですね。」

2014年11月に完成した心臓カテーテル・血管造影室

2014年11月に完成した心臓カテーテル・血管造影室

―西嶋 15年間活動し、当初と比べてモンゴルの病院に立派なカテーテル手術室ができ、モンゴルの医師たちの技術も向上しているようです。ハートセービングプロジェクトの活動も変化せざるをえないという声もありますが、なにか望むことがありますか。

「ハートセービングプロジェクトの活動が長く続いて、人々とくに多くの子どもの病気を治してくれています。モンゴルの医師と看護師の知的経験を強化することにも役にたっています。それを今、『これを変えてくれ』ということはなにもないですよ。今まで通り続けられることの意義は大きいです。近年、首都ウランバートルに人口が集中して、人々の生活状況は苦しい。大気汚染や地上の汚染とか、ストレスがたまっているとか、いろいろな原因で病気が増えているのですから、ハートセービングプロジェクトの先生方の活動の意味はまだまだ大きいです。地方には、まだまだいい医師が足りない。地方の牧民たちのためにも、ハートセービングプロジェクトの活動はもっと広めてやってもらえれば、と思っています。」

モンゴル人を救っている人たちだから、応援する

―西嶋 ところで、モンゴル出身のお相撲さんが活躍しています。その中で、ハートセービングプロジェクトの活動に協力をしている力士が何人かいます。

「ハートセービングプロジェクトの活動を歓迎し、長年協力してきた大相撲の力士がいます。とくに積極的に応援してきたのは横綱日馬富士ですね。いろいろな協力をしてきた中で、2年前、銀座のギャラリーで自分の描いた絵の個展をし、そこで売れた絵の収入すべて(経費を除いて)ハートセービングプロジェクトの活動に寄付したことを覚えています。」

元関脇朝赤龍関の錦島親方と理事宇佐美博幸氏

元関脇朝赤龍関の錦島親方と理事宇佐美博幸氏

2016年10月 横綱日馬富士関による愛媛大学付属病院小児病棟の慰問

2016年10月 横綱日馬富士関が巡業の合間をぬって愛媛大学付属病院小児病棟の慰問してくれました

―西嶋 横綱は若いころからハートセービングプロジェクトに協力していますね。

「彼の人柄ですよ。金があるからとか貧乏だからとか、そういうことではなくて、モンゴルの国民を救っている人たちだから、とできる限り応援しているのですよ。」

―西嶋 元関脇朝赤龍の錦島親方も協力しています。
「彼は、入門前から宇佐美さんにお世話になっています。そのことを今でも感謝しているのでしょう。尊敬しているのですよ。宇佐美さんがハートセービングプロジェクトの活動をしているから。日馬富士も朝赤龍も私もモンゴル人だから、モンゴルのためにやっている人を応援しているのです。」

次回「フレルバータル駐日大使に聞く(下)」では、変わりゆくモンゴルの人々の暮らしと日本の印象などを聞きます。次回は9月1日予定です。

(西島大美・にしじまひろよし)『医療チーム同行記』(9回連載を本ホームページで担当)。日本記者クラブ会員、司馬遼太郎記念財団機関誌「遼」編集委員。1948年、東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。読売新聞東京本社秋田支局、社会部、生活情報部(現生活部)次長。編集局部長(文化関連事業事務局長)で退職。著書に『ゼロ戦特攻隊から刑事へ』(芙蓉書房出版)、『心の開国をー相馬雪香の90年』(中央公論新社)、『性教育の現場』(大陸書房)など。