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ハートセービングプロジェクト

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2017応援団シリーズ(2)

2017年9月1日

リタイアしても日本とモンゴルのために

フレルバータル元駐日モンゴル国大使に聞く(下)

インタビュー : 西嶋大美(ジャーナリスト、元読売新聞記者)
同席者 : 宇佐美博幸(写真家、ハートセービングプロジェクト理事)

S.フレルバータル元駐日モンゴル国大使

S.フレルバータル元駐日モンゴル国大使

 

 民主化して30年、モンゴルはひたすら資本主義的発展をめざし、都市化が猛スピードで進んでいるかにみえます。人々の暮らしはおおきく変わりつつあるようです。モンゴルはどこへゆくのか。フレルバータル大使はリタイアした後、何を目指すのか、さらに日本の印象などをたずねました。

 

 モンゴルは古くて若い国

近年急速に近代化が加速している首都ウランバートル

近代化が加速している首都ウランバートル

国会議事堂正面のチンギスハーン像

国会議事堂正面のチンギスハーン像

 

―西嶋 モンゴル全体のことについてうかがいたいと思います。ハートセービングプロジェクトが15年前に活動を始めたときと比べて、モンゴルはずいぶん変化しました。とくに一般庶民の生活の変化はどのようなものでしょうか。

 「モンゴルの特徴について、私はいつも“古くて若い国”といっています。2000年前に国家が起こり、13世紀に大帝国があった。古い国ですね。しかし、民主化が始まってからわずか30年の若い国です。もう一つの特徴は、モンゴルは“若者の国”ということです。若者の国モンゴルは、若い人たちの育成、教育がひじょうに重要なことになりますね。
 今モンゴルは政治的、イデオロギー的、社会体制として民主化をすすめています。モンゴルは人口が少ないけれど、発展の可能性が十分ある国なんです。地下資源、鉱物資源が豊かで、地上の資源である牧畜、農業も豊かです。私たち自身が頑張り、日本をはじめ海外の国々の協力をえていけば、あと5年、10年でさらに新しい発展が生まれていく可能性が大きい国なんですよ。
 国民の生活はもちろんいろいろ変わっています。わずか30年前とくらべて、ウランバートルの人口と地方の人口のバランスが大きく変わっています。地方の人口が少なくなっています。純粋な牧民が減っているのでます。都市化のプロセスが始まっているからです。それによって人々の生活スタイルも変わってきています。ですから、これからのモンゴルの一番の課題は、新しい発展に必要なインフラストラクチャーの整備に力を入れることです。また、若者たちの教育にも力を入れていきたい。そして、伝統的牧畜産業、それに対応する軽工業と食品産業を現代化していくと同時に、鉱工業を発展させていく、それらを合わせて新しい発展を目指しています。
 日本とモンゴルの関係は45周年になり、近年両国の関係はほんとうに緊密になって拡大しています。この45年の前半は社会主義国家だったため、協力関係は限られていました。しかし、1990年に民主化して以来、日本とモンゴルは価値観が一緒になりました。日本とモンゴルのインタレスト(利害)がひとつのポイントでクロスしたのですよ。両国の関係は90年代に入って急速に拡大されています。この20年間は、総合的パートナーシップで発展してきて、今から5年前から戦略的パートナーシップで、次の段階のパートナーとなった。安倍首相が政権に戻ってきてからは、両国関係はより活発に急スピードで緊密になっています。北東アジアでは、日本とモンゴルはどの国より親しい、互いに重視しているパートナー同士になっています。」

1990年、民主化を求めて集会を行う市民

1990年、民主化を求めて集会を行う市民

2017年。市内のソウルストリートでは夏の金、土、日を歩行者天国にしている

2017年。市内のソウルストリートでは夏の金、土、日を歩行者天国にしている

遊牧という伝統を大事にしつつ  幸せに暮らせる環境をつくる必要がある

―西嶋 現在、地方と都市の人口の割合はどのぐらいですか。

 「モンゴルの人口は約300万人。その半分がウランバートルに住んでいます。若い人たちがウランバートルに集中し、牧民が減っている現実があります。ウランバートルの人口の3分の1は牧民だった人たちで、生活の糧を求めてウランバートルへやってきたのです。純粋な遊牧民はどんどん減っているんですね。それがモンゴルがかかえる問題のひとつになっています。伝統的牧畜産業は重要ですから、それを発展させて現代化させていかなくてはなりません。牧民の生活を考えていくべきだと思います。

 でも、モンゴルは民主主義の国になっていますから、牧民に対し<どこかへ移動するのはダメ、そこにいてください>という政策はとりません。地方にいて牧民の生活を続けながら現代社会人であって、生活は町で仕事をする人とあまり変わらない、収入もたくさん入ってくる。むしろ都市の市民より豊かな生活を送ることができるんだ、という環境が重要です。大事なことは、牧民たちの伝統的文化を大事にする環境、雰囲気をつくることです。そうすれば、牧民がかえって増える可能性があると考えています。
 最近、実際にそういう方向に変化が起こっています。ウランバートルに来ていた牧民のなかに、故郷に戻って、昔からやってきた遊牧というよりファーマー式生活つまり農業をやっていく、収入はウランバートルの勤め人をはるかに上回っている、そんな人たちも出現しています。現代化されて再び地方に戻る気分がでてきているのだと思いますよ。」

―西嶋 遊牧という伝統的生活に誇りをもつということですか。

「そういう環境を作らなくてはなりません。伝統的文化をもって幸せに生活する、そういう雰囲気、状況を作っていくべきだと。」

日本でモンゴル草原育ちの羊や牛の肉が食べられるように!

5月、ようやく草が生え始めた草原で見かけた羊の群れ

5月の草が生え始めた草原で見かけた羊の群れ

―西嶋 モンゴルの肉はとてもおいしいですね。モンゴルの草原で育った牛や羊の肉を、日本でも食べられるようになるでしょうか。

 「両国でEPA(Economic Partnership Agreement 経済連携協定)が2015年に締結され、16年6月発効したので、関税がほとんどゼロになって貿易の基盤となります。モンゴルのものを輸入したい、モンゴルへ輸出したい、という日本の会社が増えています。ただ、市場の中での衛生問題をはじめ日本からのいろいろな条件があるので、その整備のためにあと1、2年かかるでしょう。モンゴルの肉を加工する技術、それを現代的なものにすることですね。2年後に東京でモンゴル肉のジンギスカンを食べられる。そういう時期がくると思います。楽しみですね。」

―西嶋 高原に育つ天然自生の草、いわばハーブばかりを食べているからモンゴルの肉はおいしいのではないでしょうか。

「そうだとおもいますよ。ただ、世界温暖化の影響があるし、ファーマー式で自然の牧草より餌を与えるとか、将来はどうなるかわかりませんが、おいしいですよ。」

日本人ほどモンゴルに親しみをもっている国民はいない

―西嶋 日本と日本人の印象をうかがえますか。

2017年5月に実施したエルデネットでの地方検診

2017年5月に実施したエルデネットでの地方検診

 「ずっと日本と日本人に付き合ってきているから、私の評価は言い過ぎ、考え過ぎかもしれないけれど、日本人は世界のどこの民族よりモンゴルを理解し愛している人たち、そしてモンゴルを支援する心をもっている国民であろうと思います。世界の半分ほどを歩きましたが、日本ほどモンゴルに親しみをもっている国民にまだ出会っていないですよ。そして、日本の民族性はたいへん勤勉で、また人間関係や自分の国の文化、習慣をたいせつにしている。世界の平和と安定のために貢献する役割を増やそうと頑張っている国と国民だろうと思います。
 宇佐美さんとは30年付き合っているけれど、友情は30年たっても変わりがない。日本人は一回友達になると、ずっとそういうことをつづける人たちだと思っています。」

司馬遼太郎に『あなたとは付き合う』といわれた

―西嶋 私は司馬遼太郎記念財団の編集委員をしていますが、司馬さんはモンゴルが大好きで、『草原の記』や『街道をゆく5 モンゴル紀行』など作品をいくつか残しています。ほかにも日本には、モンゴルを舞台に書かれた小説がたくさんあります。日本人はどうしてモンゴルが好きなのでしょうね。

―宇佐美 司馬さんが生前言っていたことですが、「モンゴルを知れば知るほど好きになり、知れば知るほど嫌いになる」と。

 「司馬先生には一回しか会っていません。1981年の秋だったか、大阪で。当時のモンゴル大使と一緒に会ったのです。ホテル・リーガロイヤルに会いに行きました。そしたら先生はですね、大使にはっきり言ったんです。『私はモンゴルが大好きです。でも共産主義は大嫌いです。恐縮だけど、大使は共産主義の国を代表しているから、私は付き合うことができません』と。(笑い)
 で、去って行ったんです。当時三等書記官の私は玄関まで送っていった。すると、『あなたは若いから、あなたとは付き合っていい。私はときどき東京に来るのですが、そのとき、私からモンゴルの話を聞こうという人間たちが集まるモンゴル会があります。それに出ていい』と言われました。ですけれど、残念ながら間に合いませんでした。」

『竜馬がゆく』は何度も読んでいる

―西嶋 司馬作品は読まれますか。

「みなさんに勧められて、読んだんですよ。『竜馬がゆく』を今でも少しずつ読んでいます。」

―宇佐美 『最後の将軍』はモンゴル語になっていますよね。

「もちろん読みました。日本に関係していくと、日本側の付き合っている人たち、たいへんな知識人がみんな、モンゴルを愛した司馬先生の話をするのですよ。なんで日本の数多くの人が司馬先生を好きなのかを知るために、司馬作品を読まなくてはならないと思いました。
 例えば、小渕恵三元首相の話を覚えています。じかに聞いたことですが、小渕さんが高校をでて初めて受けた大学は東京外語大学のモンゴル学科で、そのときは落ちて結局早稲田にいった。なぜモンゴルに関心をもったかというと、『司馬作品を読んだから』というのです。たしか彼が外務大臣になったころの話です。『もし東京外大に受かっていたら、いまごろモンゴル大使館の参事官ぐらいなっていたかもしれない』と話していました。多くの日本人が司馬作品を読んでモンゴルを知り、好きになったのかもしれませんね。」

―西嶋 とくに好きな司馬作品がありますか。

 「『竜馬がゆく』は何度も何度も読んできました。漢字が難しく、当時の時代背景の知識が足りないですから、一度読んですぐ100%わかり、感動するのは難しいことですよ。いろいろ聞いたり、教えてもらったりして読みました。私には、一度読んで理解できるという本ではありません。読んでみると、日本人の心、文化、歴史を知るためにおおいに役だったと思います。
 モンゴルでは、亡くなった方には勲章を贈った例はありません。しかし、例外があって、司馬先生には北極星勲章を贈っている。私は、司馬さんの奥さんの福田みどりさんに、東京のホテルで勲章をお渡しました。これから暇がたっぷりできますので、司馬作品をもっと読んでみたいと思っています。」

リタイアしても日本とモンゴルのために活動する

―西嶋 大使を辞めて国に帰ったら、どうされるのですか。

S.フレルバータル元駐日モンゴル国大使(左)と西島大美氏

S.フレルバータル元駐日モンゴル国大使(左)と西島大美氏

 「今度帰ったら、リタイアします。でも日本とモンゴルとの関係からは離れません。モンゴルに市民団体『日本モンゴル関係促進協会』があり、元首相が会長をしています。その仕事を通じて日本とのつながり、協力関係を続けていきたいと思います。秋ごろからモンゴルで、日モ外交関係樹立45周年の記録映画をつくる仕事が、私を待っています。ドキュメンタリー映画をつくるのです。」

―西嶋 その映画に、ハートセービングプロジェクトは登場するのですか。

 「もちろん、その中にハートセービングプロジェクトを入れますよ。重要なことですから。宇佐美さんとの友情関係、宇佐美さんの友人であり私の友人でもある先生方を通して、ハートセービングプロジェクトの応援、支持もしていきたい。それから、モンゴル・日本国交45周年のシンポジウムをやります。それを組織する、指導する仕事をします。」

―宇佐美 大使であるかぎり、公私をわけなくてはならないけれど、これからはかえっていろいろなことができますね。こちらも言いたいことが言えるようになります。でも、少し休んでほしいですね。

リタイアしたら、まずは草原へ!

夏の青々とした草原

夏の青々とした草原

―西嶋 モンゴルの都市に住むインテリは、休暇になると争うように草原にゆく、と司馬さんは書いています。リタイアしたら、まずなにをしたいですか? 

「もちろんその通りですよ。女房をつれてジープにテントと寝袋を積んで、故郷に向かいます。故郷は、ウランバートルの南西600キロのバヤンホンゴルです。朝出て行っては、草原の好きなとことに泊まる。そういうふうにして帰っていきたいと思っています。ほんとうの自由ですね。すくなくとも1か月半ぐらい、自然の中ですごす。両親はすでに天国にいっていますが、故郷には親せきや高校までの同級生などがたくさんいて、そういう人たちにも会います。なかには遊牧しているひともいます。ゲルを建ててもらって、その中でしばらく過ごすのをなにより楽しみにしています。」(完)

(西島大美・にしじまひろよし)『医療チーム同行記』(9回連載を本ホームページで担当)。日本記者クラブ会員、司馬遼太郎記念財団機関誌「遼」編集委員。1948年、東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。読売新聞東京本社秋田支局、社会部、生活情報部(現生活部)次長。編集局部長(文化関連事業事務局長)で退職。著書に『ゼロ戦特攻隊から刑事へ』(芙蓉書房出版)、『心の開国をー相馬雪香の90年』(中央公論新社)、『性教育の現場』(大陸書房)など。