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ハートセービングプロジェクト

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第3回渡航

2002年12月31日

日本からモンゴルへ持ち込む医療機器の数々(成田空港からの直行便手荷物として搬入)。前2回の渡航で判明した不足器材をたくさん集めたので個人荷物とあわせて全部で計60個となった(超過手荷物料金50万円は最終的に無料)。
ウランバートルのブヤントウハー空港のターンテーブルから出てきた持込手荷物をすべてピックアップ。これだけでも大仕事。
今回初めて、モンゴル母子保健センターの小児循環器医、モンゴル国立第3病院心臓外科医とわれわれで合同カンフェレンスが実現。
いよいよ国立母子保健センターでの活動開始。この日は夜遅くまで母子保健センター医師と打ち合わせが続いた。
母子保健センターで診療中。左はモンゴル医師。診療を行っているのは上田医師。
日本から持ち込んだポータブル心エコー機でエコー検査を実施。
ポータブル心エコー機導入でエコー診断のスピードも大幅アップした。これは野木医師によるエコー診断の様子。
昼の快晴時で摂氏マイナス15度、夜はマイナス30度のウランバートルの朝。
クリスマスが近いので母子保健センター入り口は飾りつけがされている。
心エコー検査の画像を見入る医師たち。女性医師はビャンバ医師。
上田医師による検診の様子。
母子保健センターの入院病棟でクリスマスを過ごす親子。
こちらも母子保健センターの入院病棟の親子。
入院中の子ども。
モンゴル国立第3病院。正式名称は「シャスティン記念病院」というが、ウランバートルの人々には第3病院として知れ渡っている。今回の渡航の後半からはこの国立第3病院でカテーテル治療・検査を実施することになった。
第3病院には心血管造影装置がある。この装置は、約20年前の日立製のもので、角度は1方向だけ。解像力は不良でしたが、機能的には現在の日本水準をクリア。
国立第3病院のスタッフ用食堂にて。
国立第3病院の診療室へ向かう日本医師。左から野木医師、上田医師、富田医師、羽根田医師。
第3病院の入院患者を診察。
第3病院には全国から心臓外科手術が必要な患者が集まる。
今回からカテーテルは国立第3病院にて行う。母子保健センターの医師も集合し、カテーテルの術前、患者のデータを見せながらモンゴル側医師に説明をする羽根田医師。
羽根田医師と上田医師によるカテーテル施術。周囲はすべてモンゴル側医師。
多くのモンゴル医師にとって、日本医師の施術を目にすることは今後の医療技術を上げるうえで重要である。
造影画像をみながらカテーテル施術が続く。
施術中も各日本医師がモンゴル医師からの質問に答えたり説明したりしている。
長い緊張のあとのわずかなリラックス。
カテーテル術後の記録をとる羽根田医師。
今回のカテ治療で元気になったこどもたちと記念写真をとる上田医師。
第3回渡航でコイル閉鎖した動脈管開存患者とその親たち。
帰国前日の夜、母子保健センター、国立第3病院、その他第3回渡航にかかわったスタッフ全員が一同に会してパーティーを催した。

 

期間 : 2002年12月20日(金)~30日(月)(実滞在日数9日間)  小児循環器医5名、臨床工学士1名 計6名

<2002年レポート>

2002年8月の渡航の際、日程と器材の関係で治療できなかった子供達の治療目的で、平成12月20日成田より直行便にて出国、30日帰国の日程で行いました。前回の渡航で不足した医療機器の数々(患者の数によって必要となるカテーテルの数も異なる)があり、持込荷物の数はなんと60個でした。今回は国立母子保健センターと国立第3病院の両方で心エコー診断とカテーテル治療を行いました。国立第3病院は、モンゴル国の心臓外科センターの役割を担った病院であり、当時モンゴル国で唯一、心血管造影装置がある病院でした。この血管造影装置は、約20年前の日立製のもので、角度は1方向だけ。解像力は不良でしたが、機能的には現在の日本水準をクリアしていました。われわれとモンゴル国立母子保健センター、モンゴル国立第3病院との合同カンファレンスが持てたことは、モンゴル人医師の教育も今後の主要な目的のひとつであり、意義は大と考えられます。今回行ったカテーテルの内訳は、動脈管開存11名と大動脈縮窄1名のカテーテル治療、冠動脈瘻の診断カテーテルでした。動脈管開存は女児に多い疾患で、日本をはじめとした先進国では男女比が1:1~3といわれていますが、モンゴルではカテーテル治療の対象外も含めると計30名の患者が来院しましたが、男児はわずかに2名、すなわち男女比は1:15でした。動脈管開存の発症頻度は新生児期の酸素濃度に関係しますが、男女比が大きいことは高地で酸素濃度が薄いことが影響しているのか、過酷な気候によるストレスに対する感受性が男女で差があるのか今後疫学的見地からの共同研究の必要性を感じています。

モンゴル国は1992年に新憲法を採択し、正式に民主主義国となりましたが、それ以前は旧ソ連の衛星国でした。そのため、1992年以前の初等教育で英語は教育科目ではありませんでした。その影響もあり、一般的に英語力が不足しています。われわれの活動で、現地の医師・医療スタッフとの会話は、このプロジェクトのきっかけを作ったEnkhsaikhan医師が日本に留学していたこともあり、彼女がおもにモンゴル語・日本語の通訳の役割を果たし、その他は英語でコミュニケーションを図っておりますが、現地医師・医療スタッフの英語力は専門的な会話をするには不十分です。モンゴル国の経済的な原因のみならず、こうしたかつての体制に起因する医療の国際化の遅れも、この国の医療の遅れにつながていることは否めません。そんな中でも、この活動が3回目となり、こどもたちの治療という同じ目的の下での共同作業を行ううちに、脈が通じ合い、お互いの理解が深まったように思います。カテーテル施術の場には多くのモンゴル側医師が立会い、その目で見、また質問があればその場で日本側医師に質問をする様子が見受けられます。また、期間中、モンゴル国立医科大学およびモンゴル国立医科大学附属病院を視察し、学長・副学長・国際交流課長と会見。学生向けに小児循環器総論の講義を行いました。