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エドワーズライフサイエンス基金様からの視察&ボランティア参加

2020年1月10日

2013年からハートセービングプロジェクトを支援いただいていますエドワーズライフサイエンス基金の広報ご担当者様が2019年8月、地方健診の活動視察とボランティア活動を目的として参加されました。

ウブス県での地方健診 参加レポート

エドワーズライフサイエンス基金 西山 貴子

私はアメリカの医療機器メーカー、エドワーズライフサイエンスの日本法人で広報を担当しています。エドワーズは主に人工心臓弁や心臓カテーテルといった循環器分野の機器を取り扱っており、世界100カ国以上で事業を展開しています。Patient First(患者さん第一)を掲げイノベーションに力を入れることを信条に、全世界13,000人の社員が日々尽力しています。2004年には慈善事業の柱となるエドワーズライフサイエンス基金が設立され、主に心臓弁膜症がもたらす世界的な負担の軽減に尽力する非営利団体を応援しています。今回は、基金が2013年から支援させていただいているハートセービングプロジェクト様のプログラム視察兼ボランティアとして、地方検診に参加しました。

今夏の地方検診は、ウブス県とウブルハンガイ県に分かれて実施されました。私はウブス班に同行したので、ここではウブスでの出来事を中心に述べたいと思います。

初めてのモンゴル

8月7日、成田空港にて

201987日、同行する愛媛大学の檜垣高史先生、奥貴幸先生、四国おとなと子供の医療センターの寺田一也先生、都立小児総合医療センターの矢内俊先生、愛媛大学医学部の徳本大起さん、島根大学医学部の倉島礼香さん、ハートセービングプロジェクトのトーヤさんと成田空港で合流しました。いざ出発、と思いきや、突然ウランバートル行きのフライトの遅延が決まり、結局成田で4時間近く時間をつぶすことになりました。待っている間はモンゴルの子供たちへ渡す折り紙を先生方と練習したりしながら時間を過ごしました。待つ、という行為はあまり嬉しいものではありませんが、この時間がチームの結束を高める良い機会になったのかな、と思います。

ウランバートルに到着したのはほぼ深夜、ネオンの色が独特な、異国情緒あふれる市街地に入った時にモンゴルに来たことを実感しました。関西空港からいらした秋田赤十字病院の田村真通先生、近畿大学病院看護師の北角梨恵さん、島根大学医学部の山梨友さんともホテルで合流しました。

翌日は全員でモンゴル国立母子健康センターを訪問しました。午前中は同病院で後日行われるカテーテル治療の対象になる子どもたちの検診が行われました。
病院に到着すると、すでに廊下には列を作って待っている親子が沢山いました。

ソファや簡易ベッドに横になり、不安そうにしている子、カメラを向けると恥ずかしそうに笑う子、大泣きする子、どこの国でも病院での子どもの振る舞いは似ているなと思いました。問題がなくて安心するケースもあれば、中には病状が進んでいて即手術対象となる子どももいました。モンゴルでは重度の小児心疾患治療体制がまだ確立しておらず、カテーテルで治療できない症例は、海外渡航しか選択肢がない場合もあります。この国の生活水準をみれば、それがどんなに厳しい選択肢なのかと思うと本当に胸が痛みました。
最終的に、モンゴル国立母子健康センターでは28人の検診が行われました。
その後ウブス班は空港に向けて、ウブルハンガイ班はそのまま車に乗ってそれぞれ出発しました。

ウヴスへの道

ウブス班は檜垣先生、寺田先生、奥先生、徳本さん、スタッフのトーヤさん、アムラさん、通訳の大束さんご夫妻に加え、国立母子健康センターからウンドラル先生も参加しました。国内線のターミナルに到着すると、ウブスからウランバートルに戻る明後日の便がキャンセルになってしまったことがわかりました。となると、帰りは車をチャーターして1,300キロ超の道なき道を戻ってこなくてはなりません。ウブスには待っている人たちがいますが、その後のカテーテル治療のスケジュールにも影響がでます。ところが、しばらく経つとキャンセルだと思っていたフライトが突然復活することになったのです。しかも、ハートセービングプロジェクトのモンゴルスタッフの猛抗議によってでした。「すごい、モンゴルってクレームを言ったら飛行機が飛ぶんだ」。実は航空会社の勝手な理由でキャンセルになったため、それを抗議で覆すことができたようです。帰りのフライトの心配もなくなり、私たちは無事ウランバートルを後にしました。

ウヴス・ヌール

私たちが到着したウブス県ウランゴムの空港は、360度見渡しても空港以外の建物が一つもない、大草原のど真ん中にありました。ウランバートルとは全く違う、まさにイメージしていたモンゴルでした。ウブス県はモンゴル北西部にあり、北はロシアとの国境です。首都ウランゴムは青い空、そして草原の彼方に山脈が連なる荘厳な景色が広がっています。ウランゴム空港からの送迎車は日本ではまずお目にかからないグレーのバンで、聞くとそれはロシア製の救急車ということでした。なぜか救急車に乗り込み、ワイルドな一本道を駆け抜け町へと向かいました。途中の車窓からは、馬の群れや写真や映像でしか見たことのないモンゴルの住居「ゲル」が見えました。
夕食は地元の保険局長さんのご招待で世界遺産でありモンゴル最大の湖でもあるウブス・ヌールでいただきました。湖へももちろん救急車です。道なき道を1時間ほど進むと、目の前に広大な湖の景色が広がりました。湖のほとりに手際よくテーブルがセッティングされ、この上なく素晴らしいロケーションでの夕食となりました。

 

ウヴス県立病院の子どもたち

翌日、ウブス県立病院でいよいよ検診が始まりました。廊下では、すでに我先にと並んでいる親子が沢山待っていました。日本の学校の教室ほどの広さの部屋にエコー2台を設置し検診が行われました。私は先生方が検診をしている間、待っている子どもたちが飽きないようにと、日本からシールや折り紙、風船などを用意していました。
子どもたちは折り紙を折る私を最初は遠巻きに興味深く眺めていましたが、出来上がった鶴や風船、飛行機などを渡すと、はにかんだ笑顔を見せてくれました。また、日本からもっていった小さなお菓子セットを検診が終わった子に1つずつ渡しました。待っている子どもは、終わった子どもがお菓子を受け取るのを見て、検診を受けるのを楽しみにしているようでした。
ウブスの子どもたち、特に女の子は、フワフワしたドレスとおしゃれな靴を履いている子を何人も見かけました。めいっぱいおしゃれをして病院にやってくるのを不思議に思っていましたが、町に来て病院に行く、ということ自体が彼女たちにはとても特別なことだったのかもしれません。モンゴルでは、日本のような乳幼児健診制度がなく、ハートセービングロジェクトの地方検診班によるエコー検診が生まれて初めて医師に診てもらう機会、という子どもも少なくありません。フワフワドレスを眺めながら、この国でも子供たちの健康を守れるような制度が早く充実するといいなと思いました。

 

 

医師の教育

今回、特に印象に残ったことは、日本の先生方がモンゴルの先生方にとても丁寧にエコーを教えている姿でした。モンゴルでは医学部を卒業し、数年のレジデント期間を経てすぐに地方の病院に赴任し、自己流で臨床を学ばなければいけないケースも多いそうです。そのような環境では、なかなか技術や知識を構築するのが難しく、そんな中、日本の経験豊富な先生方から直接指導を受けられる地方検診は、モンゴルの先生方にとって多くを学ぶことができる貴重な機会でもありました。

ウランバートルにたどり着けない!?

翌日は午前中に検診とカンファレンスを終え、ウランバートルに戻る時間になりました。ウブスでは、1日目114名、2日目41名の計155名に検診を行いました。病院関係者にお礼を言い出発しようとしたところ、滞在中私たちを色々な場所に連れていってくれたあの救急車がまさかのパンク!結局他の車に分乗し、空港に到着しました。
その後、ウランバートル行きの飛行機に無事搭乗したのですが、出発直前のアナウンスで経由地が変わったことを知りました。当初の経由地はウルギーのみでしたが、ウルギーには向かわず、ホブドとムルンという2つの空港を経由してウランバートルに到着することになりました。経由地では涙と笑いのドラマがあり、やっとのことウランバートルに戻ったのは深夜でした。そのおかげで、当初お会いできないと思っていた翌日からのカテーテル班の先生方の到着と重なり、ご挨拶することができました。そして、翌日からカテーテル治療が始まるチームメンバーとの別れを惜しみながら、翌朝5時にホテルを出発し、日本へと帰国しました。

温かい国、そしてプロフェッショナルチーム

渡航前は、モンゴルについての情報が少なく、正直かなり不安がありました。ところが、出会った人々は皆とても親切で、素朴で、子どもを持つ親御さんは本当に心から子どもの健康を願っていて、何よりも日本の先生方が来るのを心待ちにしていました。また、日本の先生方もその気持ちを精一杯受け止め、限られた機材や環境の中で一人でも多くの子どもを助けようと尽力している姿がとても印象的でした。今回私は検診班のみに同行しましたが、熱意があり、信頼の厚いベテランの先生方がリードし素晴らしいプロフェッショナルチームを作ることで、若い先生方や医学生がとても良い影響を受け、これからの活動につながっていることを肌で感じました。このような活動をエドワーズ基金でご支援できることを嬉しく、また誇りに思います。今回の渡航にご一緒させていただいた医療チームの皆様、モンゴル・日本のハートセービングプロジェクトのスタッフの皆様、本当にありがとうございました。