2017-2018年越し応援団シリーズ(4)
2018年1月4日
私は日本人でモンゴル人ーふたつの故郷の架け橋になりたい
高砂部屋・錦島親方(元関脇朝赤龍)に聞く(下)
インタビュー : 西嶋大美(ジャーナリスト、元読売新聞記者)
同席者 : 宇佐美博幸(写真家、ハートセービングプロジェクト理事)
連載の前回では、2017年5月に引退した錦島親方(元朝青龍)に、引退相撲・断髪式(2018年2月4日)の準備や引退の感慨、明徳義塾高校時代からの思い出などを語ってもらいました。今回は、長く支援してきたハートセービングプロジェクトとのかかわりや、日本とモンゴル、二つの祖国への想いなどを聞きます。
[錦島親方プロフィール]
親方名は錦島太郎(にしきじま・たろう)。本名はバダルチ・ダシャニム。1981年8月、モンゴル・ウランバートル市生まれ。現役時は身長184センチ、体重150キロ。16歳で、元横綱朝青龍とともに高知・明徳義塾高校に入学、相撲部。インターハイ個人戦でベスト8。2000年、朝青龍に一足遅れて若松部屋に入門、初土俵。その後高砂部屋。最高位は関脇。序二段優勝1回、十両優勝1回。技能賞2、殊勲賞1、敢闘賞1回。2017年5月場所で引退。生涯戦歴は687勝679敗。引退の1か月前に日本国籍を取得した。ハートセービングプロジェクト会員。
朝赤龍引退・錦島襲名披露大相撲についての詳しい情報は、本記事の末尾に記した日本相撲協会と朝赤龍後援会のアドレスへ。
日本もモンゴルも故郷
―西嶋 2017年4月に国籍をとられました。親方になるためには、日本国籍が必要という事情があるそうですね。
「日本の国籍をとって日本人になり、親方になったけれど、私自身は日本とモンゴル、両方の国の人だと思っているんです。モンゴルも故郷、日本も故郷。同じです。16歳で日本にきて、もう日本の方にいるほうが長くなったんですよ。一番ものを覚えるときに日本にきてですね、両方の国のことがわかるんです。いや逆に、モンゴルのことがわからなくなって…(笑)。」
―西嶋 モンゴルへは毎年帰りますか。
「この数年は年1回しか帰っていないですね。その前は5、6回帰っていたけれど。」
―宇佐美 デートするためとか。
「そうそう。そのとおりなんですよ(笑)。」
―西嶋 奥さんになったデレゲレツェツェゲさんと、ウランバートルのショッピングセンターで偶然再会したんでしたね。
「そう。小学校の同級生です。モンゴルでも『縁がある』って言い方しますよ。」
デレゲレツェツェゲさんは来日して2012年に結婚、入籍。披露宴は2015年で、横綱白鵬関、横綱日馬富士関、横綱鶴竜関をはじめ明徳義塾高校の後輩、琴奨菊関ら400人以上が出席した。一男二女に恵まれている。
―西嶋 新しい故郷・日本の文化や歴史を改めて考えることがありますか。
「日本の文化、礼儀というか、すごいなと思います。日本に長くいるほど、わかるようになってきますね。10代、20代ではわからなかったことが、だんだんすごいと思うようになるんです。日本をどんどん理解できているのかも。モンゴルの人にわかってもらいたいことが、たくさんあるようになりました。」
―西嶋 生まれ故郷のモンゴルをどのように想っていますか。
「モンゴルには、世界に誇る大自然があります。それと、実は古い歴史ももっている。けれどそれがあまり記録されていないんです。日本みたいにたくさん残っていればよかった。中国とロシアの間に挟まれて歴史の流れが切れているんですよ。」
―西嶋 大草原の遊牧に思い出はありますか。
「私のおじいちゃん、おばあちゃんは遊牧民です。モンゴルのまん中あたりのトヴ県で、父と母のときにウランバートルへきたんです。小さいころ夏休みに、おじいちゃん、おばあちゃんのところへいって、遊牧の仕事を手伝いました。たいへんだった。もちろん草原の暮らしに楽しさもある。馬、大好きです。遊牧生活すると丈夫になるのもわかる。ああいう経験があってよかった。小さいとき遊牧の生活はいやだったけれど、いまはムチャクチャ行きたい。子どもにも行かせたい。行かせなくてはいけないと思っています。」
日本のよいところを学んだらモンゴルはもっとよくなる
―西嶋 モンゴル社会や国民生活は猛烈なスピードで変わりつつありますね。
「モンゴルが遅れているのは、社会主義だったから。民主化してから明らかに変わってきているけれど、人間が考え方を変えないと。たとえば、ゴミを外へすてないで、ちゃんとゴミ箱にいれるとか。朝起きたら、きちんとあいさつするとか。何事もそういうことから始まるんじゃないですか。ウランバートルの車の渋滞でもそう。譲らない。自分のことしか考えていない。そんなとき、いつも『日本だったらな』と思うんですよ。もちろん、みんながそうじゃないけれど、そうではない人が多いような気がするんです。
日本の病院で、モンゴル人が医療費を踏み倒したという話を聞くことがあります。何人かそういう人がでたら、モンゴル人がみんなそうだと見られるでしょう。日本人だと、自分がおかしなことをしたら、みんなに迷惑がかかると思ってしないでしょう。そういう考え方、大事ですね。日本人は多分90%ぐらい次の人のこと考えるじゃないですか。でもモンゴルは逆じゃないかな。みんなが他の人のことを考えるようになれば、モンゴルはもっとよくなると思うんです。」
―西嶋 親方は、ハートセービングプロジェクトのドクターが勤務する島根県立中央病院小児病棟や神奈川県立こども医療センターなどを慰問に訪れています。「日本の先生方がモンゴルの子どもたちを助けてくれているのだから、自分たちは、先生たちが診ている子どもたちを励ましたい」とのことでした。ある病院への慰問では、入院患者の男の子のお母さんがブログにこんなことを書いています。「懐かしいベビーパウダーみたいな香りとともに、朝赤龍がやってきました。……大きな手で握手してくれて本当に太陽みたいな笑顔で励ましてくれて。……あれだけ痛がって泣いていた顔から一瞬にして涙が消え久しぶりにいつもの笑顔が飛び出しました。『(僕も)強くなりたいな~!』 わくわくした笑顔で私に言いました。その言葉が本当に本当に、うれしかった。」
それから、2008年からずっと番付表50部、カレンダー50部をハートセービングプロジェクトに寄付していますね。
「たいしたことはしていないんですよ。宇佐美さんに頼まれたらできるだけ協力したいと思っているんです。宇佐美さんは前から、日本にきたモンゴルの人で困っている人の面倒をみていた。すごいことをしているなと思っていたら、ハートセービングプロジェクトを始めた。ほんとうにみんな感謝しないといけない。私も感謝しているけれど、なにもできていない。
友人の馬頭琴奏者の娘が心臓の手術のとき、お金を集めた。私も発起人になって現役の力士に声をかけ、30万円だったか集めて、手術の費用の一部にと渡したこともあったっけ。
もちろん親方になってもハートセービングプロジェクトに協力していきたいと思っています。現役のときと、やることにあまり変わりはないとは思う。両方の国に世話になってきたから、恩返しというのがありますね。」
ハートセービングプロジェクトの先生方は、言葉に言えないくらいすごい
「ところで、ハートセービングプロジェクトで手術は何人にしたのですか?」
―宇佐美 2016年末までに503人になりました。検診は5000人を超えています。
「ほんとにすごいですね。」
―西嶋 ハートセービングプロジェクトの先生方のおかげで、ウランバートルの国立母子保健センターの医療レベルが上がったようです。これまで続けてやってきて、ようやく効果がでてきたと、先生たちは言っているそうです。ボランティアで15年もハートセービングプロジェクトの活動を続けているドクターたちをどう思いますか。
「先生方がモンゴルで活動しているとき病院を訪ねましたが、子どもの手術に接して、すごいなと思いました。先生方はみんな、言葉で言えないくらい、いい心をもっていますね。先生だけではなく、かかわっている人みんなそうですね。モンゴル側も同じ気持ちを持ってもらわないと、恥ずかしいです。私の身近にハートセービングプロジェクトにかかわる人がいるから、同じ気持ちにさせてくれます。私もやらないといけない、と。」
携帯を買ってもらった恩を忘れない
―西嶋 親方と宇佐美理事とのお付き合いはずいぶん古いのですね。
「横綱(朝青龍)は明徳義塾高校に入学して間もなく、スポーツフェスティバルで宇佐美さんと知り合ったんです。私は若松部屋に入ってすぐ、横綱から宇佐美さんを紹介され、それからずっと付き合っています。ですから、もう18年。携帯電話を買ってもらったことをずっと覚えています。みんな携帯もっているのに、自分はもっていなかった。あるとき食事に行って、宇佐美さんが『ダシ、どこかで優勝したら、携帯買ってあげる、料金も払ってやる』と言ってくれたんです。そしたら翌年、序二段で優勝しちゃった。その場所のあと、宇佐美さんが連れて行ってくれて、携帯買ってくれた。宇佐美さんの名前で買ってくれて、十両に上がるまで料金をずっと払ってくれたんです。いまでもそのときの番号を使っているんですよ。お世話になりました(笑)。」
―西嶋 よほどうれしかったのですね。故郷にバンバンかけたんですか。
「うれしいの、当たり前じゃないですか。毎月料金を払ってくれたんだよ。2年間も。でも、携帯からモンゴルにかけることはしなかった。全然かけなかった。携帯からだと、たいへんな金額になっちゃう。当時5分間で1000円ぐらいだった。そこまで面倒みてもらうわけにはいかないと思ったから。モンゴルへは、コンビニで国際電話カードを買ってきて、かけていたんです。」
―西嶋 宇佐美さん、どうして携帯を買ってあげたんですか。
―宇佐美 だって、ダシ(錦島親方)は都会っ子なんですよ。モンゴルから日本にきて、都会にいけると思ったら、明徳は海と山に囲まれた学校だった。10代の子どもが日本に来て、一生懸命がんばっているじゃないですか。食べられないものもたくさんあったはずです。くやしい思いをしてね。ほんとうに泣きながら。泥だらけになって稽古をつけられて、うえに上がろうとするわけじゃないですか。それをそばで見ていると可愛いっていうか、ダシに可愛いっていったら怒られちゃうけれど(笑)。やっぱりそういう思いがすごくありますよね。
―西嶋 なぜそれほどモンゴルに肩入れをするのですか。
―宇佐美 モンゴルが好きだってことがあるし、モンゴルにはいろいろな思いがあるし、約束ごとをしたこともあるし……。入り口にフレルバータル大使の息子のこと*が確かにあるけれど、朝青龍と朝赤龍の二人は、僕がモンゴルとかかわるうえで非常に大きい存在です。この二人がいなかったら、多分モンゴルとここまで深く関係もっていないですよ。
*本ホームページ掲載の「医療チーム同行記―心臓病の子どもを治したい(8)」を参照。
https://heartsavingproject.com/activity-log/%e5%8c%bb%e7%99%82%e3%83%81%e3%83%bc%e3%83%a0%e5%90%8c%e8%a1%8c%e8%a8%98-%e7%ac%ac8%e5%9b%9e/
ハートセービングプロジェクトを続けてほしい
「ハートセービングプロジェクトはモンゴルのこと、続けてやってほしいです。お金をいっぱい集めるのは、そんなにたいへんですか。」
―宇佐美 たいへん。たいへん。日本側としてはハートセービングプロジェクトの活動を続けていきたいのだけれど、ほかにもいろいろ問題がある。モンゴルの政府・行政がもっと自分の国民のことをきっちり考えてくれないと。ハートセービングプロジェクトの先生方のモチベーションが下がりかねません。こちらからいくら言っても、モンゴル側が何も返してこない。それどころか、日本の医師がモンゴルで医療活動をすることに対してすら、締め付けがきつくなっている。この1、2年、前政権のとき、とくにそうなった。総じて外国への締め付けがきびしくなっていますね。全部自分のところでできると考えているみたい。医療なんかは自分のところで全部はできないのにね。犠牲になっていくのは子どもたちですよ。我々がどんな嫌味をいわれてもやっていくのは、子どもたちのためです。新政権でどうなるのか注目しています。
モンゴルに病院をつくりたい
「私はいつも『病院をつくりたいな』と思っているんです。そういう気持ちがとても強くなっています。日本にきた自分がモンゴルとの懸け橋になる、というかね。モンゴルの子どもも大人も、みんな困っているんです。例えば、CTやMRIを撮ったのに、判断を間違えることがよくあるらしいんですよ。私の親せきや友人でも実際にあったことです。検査したかなりの割合で判断違いがあるという話を聞きます。これについては、日本と情報をうまくつなげてやれれば、すぐにでもかなり改善できるんじゃないかと思うんです。モンゴルにはMRIとか医療機械はあるから、撮影した情報や採った血液を日本に送って調べ、モンゴルへ正確な判断を送り返す、というができたらと。日本の二つの病院の知り合いの先生に、こういうことをできますか、と聞いているんですが、インターネットの画像はいいけれど、モンゴルに人を置かないといけないとか、なかなか簡単にいい返事もらえないですね。
モンゴルの医療レベルがまだまだ発展途上の段階にあるという事情もあると思います。すごく頭のいい医師は、海外にいって帰ってこない。アメリカとドイツとかヨーロッパとかへ。そういう問題もあるらしいです。宇佐美さん、モンゴルで病院つくりましょうよ! 私もお金ないけれど、ほんとうに作りたいと思う。やり方を工夫すれば、できないことないと思うんですよ。」
―宇佐美 いまハートセービングプロジェクトに、国立モンゴル大学に医科大学付属病院ができるので、手伝ってください、という話がJICAからきています。エルデネットにも、眼科、歯科、婦人科クリニックの総合大学を作っているようですよ。
―西嶋 日本とモンゴルは将来どうなったらいいという考えはありますか。
「日本にはすばらしい考え方があります。それをモンゴルが素直に受け入れて、日本のいいところマネしてほしいですね。モンゴルはモンゴルでいいところあるので、それを生かしてね。モンゴルの子どもたちのためにハートセービングプロジェクトにかかわっているみなさんが苦労しています。このページを見たら、どんどん協力してもらいたいですね。私は自分のできることをやっていきたいと思います。
2月4日の断髪式には、たくさんの人に来てもらえたら、すごくうれしいです。」
◇朝赤龍引退相撲事務局
〒130-0011 東京都墨田区石原2-15-9 交楽堂ビル1F
Tel.03-5819-1525(平日10;00~17:00)
Fax.03-5819-1525(24時間)
ホームページ www.asasekiryu.com
◇日本相撲協会
http://sumo.or.jp/IrohaKyokaiInformation/detail?id=236
西嶋大美(にしじま・ひろよし) 日本記者クラブ会員、司馬遼太郎記念財団機関誌『遼』編集委員。1948年東京生まれ、早稲田大学政治経済学部卒、75年読売新聞東京本社入社、秋田支局、社会部、生活情報部(現生活部)次長、編集局部長(文化関連事業事務局長)で退社。著書に『ゼロ戦特攻隊から刑事へ』(芙蓉書房出版)、『心の開国を―相馬雪香の90年』(中央公論新社)、『性教育の現場』(大陸書房)など。HSPホームページに、2016年1~5月、「医療チーム同行記―心臓病の子どもを治したい」を9回連載。
https://heartsavingproject.com/activity-log/%ef%bc%88%e5%90%8c%e8%a1%8c%e8%a8%98%e7%ac%ac1%e5%9b%9e%ef%bc%89%e5%bf%83%e8%87%93%e7%97%85%e3%81%ae%e5%ad%90%e3%81%a9%e3%82%82%e3%82%92%e6%b2%bb%e3%81%97%e3%81%9f%e3%81%84%e3%80%80/
その後、「2017応援団シリーズ」の一人目として、フレルバータル元駐日モンゴル大使のインタビューを掲載。
https://heartsavingproject.com/activity-log/2017%E5%BF%9C%E6%8F%B4%E5%9B%A3%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%89/
(錦島親方編 おわり)