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ハートセービングプロジェクト

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第5回渡航

2004年7月20日

夏の訪問は第2回から数えて2度目。第5回渡航はナ−ダムに合わせての渡航でした。ウランバートルを見下ろす丘「ザイサントルゴイ」からの景色。近年すっかり都会的に見えます。日中は30℃以上 早朝は15℃と、日本の夏と変わりません。
今回滞在させていただくEnkhsaikhan医師の親戚のアパート前にて。
到着翌日の7月11日は「ナーダム」を見学しました。モンゴルの夏の祭典「ナーダム」の競技のひとつ競馬に参加するため地方からウランバートルへやって来た子どもたち。
「ナーダム」の競馬で優勝した少年とその家族。とても誇らしげです。
モンゴルでの渡航治療5回目にして初めてモンゴルらしい景色を目にすることができました。
滞在先のアパートからの景色。ウランバートルの様子も年を追うごとに近代的になります。
活動初日の朝、モンゴル国立母子センターでのミーティング風景。現地医師、米国から合流のEnkhsaikhan医師とともに今回の対象の患者さんについてカンファレンスを行いました。
いよいよ診察室へ向かいます。
モンゴル国立母子センターの入院病棟。
あらかじめモンゴル国立母子センターの医師たちがリストアップした患者のこどもたちの診断風景。
Enkhsaikhan医師を中心に今回の治療計画などを検討。
病院で日本の医師の到着を待っていた親子。
週末の休みを利用して現地スタッフとの懇親を兼ねた昼食会。
国立第三病院でいよいよカテーテル治療が始まる。左から三人目は国立母子センター小児循環器医師。
国立第三病院の設備はオーストラリア・シドニーの病院とロータリークラブの援助で日本と同等の診療レベルのものに更新されていました。フィリップス社製(1方向のみ)の血管造影装置は10年前のものでしたが、性能は日本の病院とほぼ同レベルでした。
真新しいカテ室で、施術もスムーズに行われました。
国立第三病院の医師とともにカテーテルを実施。一番右が国立第三病院の心臓外科医師。
カテーテル終了後、互いにチームワークを讃え合う医師たち。一番左がモンゴルのバーサンジャブ医師、中央が羽根田医師、右が黒江医師。
予定していた最後のカテーテル治療が終了し、その場のスタッフ全員で記念写真。
日本の国際ライオンズクラブから国立第三病院へ寄贈された3チャンネル生体信号モニター。
カテーテル班と一部別行動の地方検診班。今年で第2回めとなる地方検診先はへナライハ。早朝出発して途中休憩です。
検診先へ向かうミニバンの中のHSPスタッフ。地方に向かうのはまだ2回目で、なおかつ知らない土地へ赴くので少し緊張気味です。
同じく検診先へ向かうHSPスタッフ。行き先で待っているこどもたちがたくさんいると聞いていました。
ナライハまでの途中はモンゴルらしい草原が広がっていました。
ナライハまでの道は舗装されているところが多く順調な道のりでした。
方検診先であるナライハの病院へ到着。現地医師に掛かっている患者のお子さんのみならず、日本から医師が診療するという情報を聞きつけて待合室には大勢が待ち受けていました。
日本から持参したポータブル心エコー機を用いてエコー検診を実施。現地医師がスクリーニングした患者を中心に53名が受診。15名(うち3名は成人)が有心疾患者でした。
今回の渡航治療に参加したモンゴル・日本の医療スタッフ全員で。
治療を終え、無事に退院していく患者の赤ちゃんをわれわれ日本側の医師たち全員で喜びました。
こうして喜んでもらえる笑顔がこの活動を続けている醍醐味です。

期間 : 2004年7月10日(土)~19日(月) 小児循環器医7名、臨床工学士1名、看護師1名、研修医1名、学生2名 計12名

<2004年レポート>

立ち遅れている小児循環器医療のために治療が放置されているモンゴルの先天性心疾患児を1人でも多く救うことと、あわせてモンゴルの小児循環器医療の自立を目指して平成13年10月よりカテーテル治療を中心としたモンゴル渡航診療を行ってきましたが、第5回となる平成16年度の活動は平成16年7月10日~19日の日程で渡航しました。いままでと同じく全国から有志を募り、資金は広く日本国内からの募金により、器材はその募金によって日本国内で調達して手荷物(総重量235kg)として持ち込みました。

日本国内からの参加者は、小児循環器医7名・総合研修医1名・臨床工学士1名・看護師1名の10名に、島根大学医学部と他校の学生が1名ずつの計12名で、それにかつて島根医科大学小児科に留学していたこのプロジェクトの立ち上げ者であるP. Enkhsaikhan医師とその夫Y. Orgil氏が現留学先である米国テキサス州ヒューストンから合流しました。

到着日はパレスホテルに一泊し、その後はEnkhsaikhsan医師の親戚宅をはじめ、紹介いただいたウランバートル内の家にホームステイさせていただきました。今回はまさにナーダムと時期が重なり、モンゴル側のスタッフの手配でこどもが行う競馬を観戦することができました。好天に恵まれ、今まで数回モンゴルを訪問しながらほとんど初めてにして空の青さや空気のすがすがしさ、馬とモンゴルらしい景色に接することができました。

まずUlaanbaatar市にある国立母子保健センターで同センター受診中の心疾患児約80名に心エコーを行いました。同センター小児循環器医の診断は正確でしたが、外科治療の時期や方法の指導は行われていませんでした。われわれが行った心エコーの結果をもとに、国立母子保健センターや米国の援助団体であるSamaritan’s Purseに属するモンゴル人小児循環器医師とカンファレンスを行い、外科手術・カテーテル治療・診断カテーテルの適応の有無を議論しました。その結果、非開心術適応の1例は同じ市内にある同国の心臓センターである国立第3病院での手術を指示、3例はSamaritan’s Purseプログラムでの米国渡航手術と判断しました。
モンゴル国では、われわれが活動を始めた2001年当時から心臓血管造影装置は国立第3病院にしかありませんでしたが、これが今回訪問したときにはオーストラリア・シドニーの病院とロータリークラブの援助で日本と同等の診療レベルのものに更新されていました。同病院で、翌日からの3日間で15例の治療カテーテル、4日目は7例の診断カテーテルを行いました。治療カテーテルの内容は動脈管開存コイル閉鎖8名、肺動脈弁狭窄バルン拡張5名、大動脈縮窄バルン拡張1名、大動脈縮窄バルン拡張と動脈管開存コイル閉鎖を同時に行ったのが1名でした。この中には重症心不全症状を呈していた乳児例1名、中等症心不全症状を呈していた乳児例1名、幼児例1名が含まれていましたが、すべて成功し全員元気になりました。診断カテーテルの7例には、手術至適時期が過ぎたために先進国でも手術が不可能な進行例が3例(心室中隔欠損1例、ファロー四徴2例)あり、4例(心室中隔欠損2例、心房中隔欠損1例、ファロー四徴1例)が米国渡航プログラムに乗ることになりました。動脈管開存でカテーテル治療が可能な症例があと3人いましたが、血行動態的に待機可能と判断されたことと日程や器材の関係で次回渡航時の治療としました。

前回に引き続いて、日本から持参したポータブル心エコー装置を使用しての地方都市小児心臓検診も行いました。検診班の構成は日本人医師2名・看護師1名・医学生1名と現地医師・通訳で、Ulaanbaatarから東方に50 km離れたナライハ市に出向きました。現地医師がスクリーニングした患者を中心に53名が受診し、15名(うち3名は成人)が有心疾患者でした。そのうち2名は次回渡航時にカテ-テル治療の対象になりうると判断されましたが、3名は相当進行した状態で、日本ならもっと早期に外科手術で回復させることができるであろうと判断されました。53名のうちの10名以上は、自覚症状から患者や家族自身が心疾患を疑っての受診であり、住民が心臓に関しての「正確な」診断を熱望していることが伝わってきました。医療資源の乏しい発展途上国の地方都市でも、地元病院との連携やポータブル医療機器の持ち込みにより、住民の要望に合致した効果的な心臓検診が行い得ることが判明しました。
モンゴルの小児循環器医療が立ち遅れている原因の最たるものは国全体の経済の立ち遅れですが、われわれが手を差し伸べられる範囲でもっとも問題なのはモンゴル人医師の意識・意欲であることが今回の渡航でも痛感しました。意識改革には時間を要するので本活動の継続が重要であることに変わりはありません。われわれが治療を実践しながら、同時に術前診断・術後管理の指導などの教育プログラムを充実させることが重要であると改めて認識しました。