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ハートセービングプロジェクト

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第9回渡航

2008年8月21日

今回は4班が時期をずらしながら、のべ15日間という長丁場。8月6日(水)、第1陣が成田に集合したときの様子。
事前にメールされた患者リストは例年になく多く、そのため必要な医療物資も相当数に上った。個人の手荷物を除き、持参した医療物資は総量230kg、段ボールの数にして31個。Miatの好意でエクセスを割り引いてもらったものの、それでも約15万円ほどかかった。
ウランバートルの空港にて。段ボールのピックアップが容易なようにすべてにHSPのシールを貼ったことと、空港スタッフがわれわれの活動を知って手伝ってくれたこともあり、比較的容易にピックアップの作業が済んだ。
現地で待ち受けていたモンゴルのスタッフと空港で合流。
空港にはモンゴル国営放送の撮影スタッフも待ち受けていた。われわれの活動についてインタビューに答える堀口医師。
同じくインタビューに答えるモンゴル人医師Enkhsaikhan医師と、その隣は国立母子センター小児循環器医師のByambasuren医師。
到着翌日の朝8時。診療場所である国立母子センターには7時過ぎには患者さんとその親御さんが少しでも早く受付しようと集まっていた。
診療開始の8時には受付は人でごった返していた。
カテーテル施術を実施する国立第三病院からわれわれ用に一室を提供してもらっている。そこへ持参した医療物資を持ち込み、まずは仕分け作業。
カテーテルを実施する国立第三病院にはカテーテル治療を受ける患者さんと親が待ち受けていた。
カテーテル治療を受ける予定のこどもたちはすでに入院していた。
この子も先に入院してカテーテルを待ち受けているうちの一人。
カテーテルの前に心エコー検査を再度実施して状態をチェック。
通訳を介して患者の親御さんに現在の状態とこれから行う治療について説明をする。
カテーテル施術前に診断をする羽根田医師。
入院病棟を廻って診断中に親御さんから飴をいただく、心和むひととき。
国立第三病院のカテーテル室はオーストラリア・シドニーのロータリークラブからの資金提供で4年前に設立されたもの。カテーテル前の準備を行う医師たち。
手術前の不安な気持ちを抱えながらも、元気に動き回れる日々を願ってカテーテルに臨む少女。
カテーテルの準備を入念に行う上田医師(右)とZorig医師(左)。
英語を介してZorig医師に指導を行う上田医師。
いよいよカテーテル開始。日本・モンゴル合同の医療チーム全員の間の空気がピリっと変わった。
隣では次の患者さんの準備が第三病院のモンゴル側スタッフの手により行われている。
真剣にカテーテル施術に臨む医師たち。
モニター室でデータをチェックする第三病院のモンゴル側スタッフたちもカテ室内を見守っている。
カテ室内のモニター。
モニターでチェックしながらカテが続く。
モンゴル・日本のスタッフ総勢11名でのカテーテルの様子。
無事終了すると全員から拍手が起こる。
6回めとなる今回の地方検診は、ウヴルハンガイ県アルヴァイヘールで2泊3日、その後中央県ゾーンモド日帰りという日程だった。これはアルヴァイヘールへの移動中。
ウラバンートルから西へおよそ400kmを1泊2日かけて走破し、翌朝アルヴァイヘールの町のゲートがようやく見えた。
検診を行う予定のアルヴァイヘール総合病院に到着。
さっそく診察室となる一室で心エコー機をはじめ、持ち込んだ荷物をほどく。
受付には多数の患者と親が集まっていた。
待合室で順番を待つ親子たち。
現地医師とHSPスタッフが今回の診療の受付・問診を実施。
地元医師の所見を元に心エコー検査を実施する。ポータブル心エコー機は日本のGE横河メディカルシステムの協力により貸与していただいたもの。
アルヴァイヘールでの地方検診を終え、夜中の2時頃にウランバートルへ戻った。その翌日、強行軍を押して早朝出発しゾーンモドには午前中のうちに到着。
地方検診セットを車から降ろし、病院へ運び込む検診チーム一同。
ゾーンモドで検診を行う上田医師と曾根田医師。ポータブル心エコー装置は大活躍。
カテーテル治療が終り、無事退院の日を迎えた少女とその両親と共に。
第三病院で今回予定した最後の患者の治療を終えたところを、それまでに治療した患者と両親が医師たちを待ち受けていた。
今回治療を終えた患者とその親御さんと医師、スタッフ一同で記念写真。

 

2008年8月6日(水)~20日(水)
小児循環器医16名、看護師1名、超音波検査技師1名、通訳3名、カメラマン1名、学生3名合計25名

今年で第9回めとなったモンゴル渡航治療ですが、事前に今年は要治療の患者数が例年になく多いという情報があったため、7月に医師2名による事前検査を兼ねた下見の渡航を行い、そののち8月6日(水)10名を第1陣として20日(水)の全員帰国まで時期をずらしながらのべ15日間という今までで最も期間が長く、チーム全員が20名を超える大規模なものとなりました。7月の渡航で宣伝と通訳の充実を図り、8月6日に先発隊が出発、途中で中継ぎ隊が2~3日現地で重なりながら引き継ぎ、さらに最終隊に引き継ぎ、最終隊は8月20日に帰国致しました。全日程は15日間ですが、各自は5~10日間の参加でした。
8月6日に現地入りした先発隊は、まずウランバートルから400km離れたアルバイヘールで2日間検診を行いました。ここで63名に対して診察と心電図心エコー検査を施行致しました。うち54名(成人1名)が心エコー検査結果、循環器系疾患患者と判明、地元医師とその後の治療法を打ち合わせました。。ついでウランバートルから50kmのゾーンモドに移動して21名の検診を行いました(うち6名がエコー検査結果、循環器疾患と判明)。その後、中継ぎ隊が合流した8月11日から最終隊が帰国する前日の8月19日までは、ウランバートルの2つの国立病院での診療を行いました。2つの病院を受診した患者数はおよそ170名でした。その中から我々が治療できる患者の選別を行い、結果的にはカテーテル件数は総数45例で、内訳は、治療カテ達成31例(動脈管開存のコイルによる閉鎖14例、Amplatzerによる閉鎖11例、肺動脈弁バルン形成4例、大動脈縮窄へのステント留置1例、動脈管依存型の肺動脈閉鎖を含む複合疾患の動脈管へのバルン拡張1例)、カテーテル治療を試みた後診断だけにとどめたのが2例、最初から診断目的のカテーテルが14例でした。大動脈縮窄症例は危急的状態のため7月にも緊急避難的にバルンを行っておりますので、これをカウントすると今年のカテーテル総数は46件、カテーテル治療達成は31例32回でした。
今年の活動を過去8回に加えますと、ウランバートルでの診療総数は、心エコーによる精査およそ800例、カテーテル件数208回210例、カテーテル治療達成156例157回(動脈管開存閉鎖134例、肺動脈弁狭窄バルン形成16例、大動脈縮窄治療3例4回、チアノーゼ型複合疾患への血管形成1例、大動脈縮窄と動脈管開存をいっしょに治療1例、心臓内異物回収1例)、診断カテーテル(治療カテを試みて撤退した例を含む)53例となりました。また、地方都市検診はバガノール(ウランバートルから東へ110km)、ナライハ(ウランバートルから東へ40km)、スフバートル(ウランバートルから北へ300km、ロシアとの国境)、エルデネットとボルガン(ウランバートルから西北西へ330km)、ムルン(ウランバートルから西北西へ700km、途中オフロードが300km)、アルヴァイヘール(ウランバートルから南西へ400km)とゾーンモド(ウランバートルから南西へ40km)を回ったことになります。
この活動の初期から比べますと、ウランバートルの町も、活動拠点となる病院の施設も比べものにならないほど、近代化を遂げています。しかしこの国で生まれる先天性心疾患のこどもたちをとりまく状況はそれほど変化したとはいえません。一部の裕福層が生まれたとはいえ、先天性心疾患の子どもを抱えた一般的家庭では海外での治療はもってのほか、国内でもウランバートルまで移動し国立母子センターや国立第三病院へかかるための移動費や滞在費すらままならないのです。
また医療事情の面でも、ウランバートルの見た目の変化ほどには改善されたとはいえません。活動開始当初は確かに注射針すら不足する状況で、それに比べれば現在はおもに韓国からそうした最低限必要な医療物資の輸入はされていて、治療を受ける患者は病院内の売店で購入することはできます。しかしそれ以上の、たとえばカテーテルなどは金額的にも裕福な人々しか購入することができず、先天性疾患のこどもを抱える家族は経済的事情から治療自体をあきらめざるをえないのは変わらないのです。
医療技術面では、ロシアを中心とした社会主義経済から民主化への移行に伴い、一時期足踏み状態であったところからは脱出しているようです。一部の医師は海外で開催される国際学会への出席などもあります。われわれと活動を共にする母子センターの循環器医師の心エコーの診断技術もずいぶんと進歩しました。しかし、実際の治療における技術移転は遅々として進みません。経済的、時間的制約、モンゴル側のトレーニングシステムや縦割りの医療システム、難しい、われわれだけでは解決できない問題は山積しています。
しかしこうしたことを「できない」理由にして漫然とするのではなく、具体的な問題点の洗い出しをして、モンゴルの医療の自立を促すべくさらにエッジをかけた活動をし、次へ進むことを考えていく時期に来ています。
モンゴルで培われたHSPのノウハウを求める子供たちは世界の何処にでもいると思われます。NPO法人HSPの活動は、治療を受けることができない心臓病の子供たちが何処かにいる限り継続して行く。これをわれわれの大目標として次年度以降、取り組んでいきたいと考えています。