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ハートセービングプロジェクト

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PART.2 20年の軌跡 記念講演(羽根田紀幸永世理事長)

2022年2月10日

2001年10月3日、羽根田紀幸医師(当団体の永世理事長)、黒江兼司医師、矢野宏氏が小児循環器患者の治療を目的としてモンゴルを初めて訪問・治療活動を行なってから2021年で20年が経ちました。これを記念して、2021年10月3日、「活動20周年記念オンラインイベント」が行われ、羽根田紀幸永世理事長が記念講演を行いました。この講演を3回に分けてご紹介します。

第2回は2002年の2回めの訪問から2009年までのモンゴルでの治療活動をお伝えします。

2002年の渡航

2回の20028月の渡航では、第1回渡航で重症心不全から回復したPDAコイル閉鎖後の患者さんのご自宅ゲルを訪ね、馬をいただきました。

また、のちの第68代横綱の朝青龍関が大関に、現在8代高砂親方になっておられる朝赤龍関が十両に昇進されたときの祝賀会がバヤンゴルホテルで開催され、エンフサイハン、黒江、野木俊二、私の4名が出席しました。

出雲大社(島根県)

 

出雲大社は、700年代には記録が残っている、日本では有数の古くて有名な神社で、東京から900km、私のクリニックから10kmのところにあります。2002年に400万円、その後をあわせると1000万円以上の寄付をいただきました。これがなかったら初期の渡航は困難でした。

 

 

 

20028月、関西空港出発時の荷物と黒江兼司医師(右)、檜垣高史医師(左)です。檜垣医師はこの時が初参加でした。

 

 

 

 

もっともたくさんの器材を持参したのは200212月の渡航でした。写真は成田空港出発時の荷物です。

200212月渡航の後半から、モンゴル国立第3病院でカテをしました。

モンゴル国立第三病院のカテ室(2002年12月)

第3病院でカテ中の富田英医師(手前左から2番目)・岸田憲二医師(手前左)です。2名ともこの時が初参加でした。

モンゴル国立母子保健センターから第3病院に移ることに関しては、Baasanjab医師から多大なお力添えがありました。写真でBaasanjab医師(右)にカテを指導しているのは富田英医師(中央)です。

この渡航では、計3回にわたるカテ、トータル14個のコイルで何とか閉鎖できた径8mmPDAを経験しました。その画像です。コイル閉鎖限界症例と今でも思っています。後に国際学会で報告しました。

 

2002年12月の渡航で治療を受けた患者さんです。がその患者で、退院前です。元気になりました。

 

2003年から地方検診を開始

200310月の渡航から地方都市での小児心臓検診を開始しました。写真はバガノールの病院(左)と、持ち込んだポータブル心エコー装置を用いて検診中の岸田憲二医師です。

 

 

20047月はナーダムに合わせて渡航しました。写真はナーダムの様子で、スタジアムでのパレード・モンゴル相撲・大草原での馬のレースと出場した親子です。

 

 

この時は春日行雄氏の孤児院も訪問しました。外観と孤児達との集合写真で、春日氏、富田英医師、野木俊二医師、増川昭子看護師、私と私の息子などが写っています。孤児院の財源は春日氏の私財とのことで、2007年まで渡航の度に支援の品を持参して訪問しました。

 

20047月、新しくなった第3病院のカテ室です。2014年の渡航まで、このカテ室を使用させていただきました。写真は、カテ中の野木、富田、羽根田の3名とモニター画面です。

このカテ室で、年齢15カ月、体重9.5kgの女児、3.5mm径のPDAを、コイル3個で閉鎖した時の画像です。

20057-8月の渡航で、ADOを持参してくれた中国のLarry Meng氏と、田村・檜垣・富田・羽根田の集合写真です。

この時の、ADOを用いてのPDA閉鎖が次の画像です。

 

2006年渡航では、HSPハートセービングプロジェクトのロゴマーク入りの揃いのTシャツを作りました。それを着ての集合写真です。

2001年から2007年までの事務局は出雲市の島根ヘルスサイエンスセンターで、渡航回数は2002年のみ2回、その他の年は年1回で、医師の家族のアパートに分宿しました。2008年は、次の年から複数チームが渡航するための準備として、7月に3日間、8月に2週間渡航しました。宿舎はエバーグリーンホテルでした。2009年からは宿舎が Hotelとなり、快適な滞在となりました。この年から、カテチーム・検診チームそれぞれが年2チーム以上渡航するようになりました。

活動20周年記念 活動の軌跡 PART.3(最終回)へ続く